2020年4月17日 (金)

テレワークで経営者だけが知っておくべきこと~ITよりも労務管理に注意

本稿は、経営者向けの記事です。

新型コロナウイルス対策による緊急事態宣言で、急遽、テレワークを始めた会社の経営者が知っておかなければならないことがある。

テレワークをするために、資料やパソコンの持ち出しのための検討ばかりをした会社は、特に要注意である。
なぜなら、テレワークは、会社にとって、IT部門や総務部門が担当する情報管理やIT管理の課題であるばかりではなく、人事部門が担当する労務管理の課題でもあるからである。

 

今回の対応で、従来から裁量労働制などになっていなかったのに、「なんだ、テレワークって思っていたより簡単にできたな。」と思っているとすると、ここで紹介する問題に陥りやすい。

ここでは、文面を読みやすくするために、会社と書くが、会社ではない機関などでも同じである。
その場合は、文中の会社を機関、社員を職員などに読み替えて読んでもらうとよい。

勤務形態と就業規則

まず、テレワークの前に、そもそも、勤務(就業)とはなんだったのかを見返してみる。
勤務とは、決められた就業時間、決められた就業場所で、決められた仕事内容(就業内容)をすることである。
そして、これらの決め事は、就業規則で定めており、変更するには、就業規則を改定しなければならず、就業規則の改定は労働基準監督署に届け出なければならない。
就業規則の作成義務がない規模の会社でも、労働条件通知書での社員への通知が必要だ。
よって、どんな会社であっても、変更するには、何らかの書面の改定をする必要がある。

実際にも、厚生労働省が出している「テレワークではじめる働き方改革ガイドライン」の中で、以下のとおり、テレワークの導入には、就業規則等の改定が必要であるとしている。

テレワークを導入する場合には、就業規則などにテレワーク勤務に関して規定しておくことが必要です。(中略)テレワーク勤務に関する規定を作成・変更した際は、所定の手続を経て、所轄労働基準監督署に届け出ることが必要です。

例えば、テレワーク勤務について、就業規則に次のことを定める必要があります。

●テレワーク勤務を命じることに関する規程
●テレワーク勤務用の労働時間を設ける場合、その労働時間に関する規程
●通信費等の負担に関する規程

なお、就業規則の作成義務がない会社では、前述のことについて労使協定を結んだり、労働条件通知書で労働者に通知することが必要です。

テレワーク導入は段階的に範囲拡大するのが基本

テレワークには、在宅勤務、モバイルワーク、サテライトオフィス勤務の3つの形態がある。どれか1つでもよいし、組み合わせてもよい。

テレワークを始めるために、最初にすることは、対象者、対象業務、実施頻度の3つの範囲を検討することである。
会社の業務・業態と社員の職種に合わせて、適した形態を選び、解決できる課題から取り組み、それぞれの実施範囲を段階的に順次拡大していくのがよいとされている。

しかし、緊急事態宣言を受けて、急遽、テレワークを始めた会社は、その目的が人との接触を減らすことから、在宅勤務を選んで、これら3つの範囲をいっぺんに開放したような状態になっていることが考えられる。

それだと、就業条件である、時間、場所、仕事内容のうち、場所だけの変更になると思うかもしれない。
しかし、就業時間の管理は、以下のいずれかで管理することになる。

●所定労働時間制

○通常の時間管理制(労働基準法第32条)

○フレックスタイム制(同条の2,3,4

●みなし労働時間制

○事業場外みなし時間労働制(同法第38条の2

○裁量労働制(同法第38条の34

上記の中からの選択であることを踏まえて、テレワークについて考えてみる。

テレワーク中の就業管理

就業時間というと、規則に定められているので、社員がその時間に出勤する義務が一方的にあるだけだと思っているかもしれないが、それは雇用契約上の義務である。
労働基準法の観点からすると、会社が社員の就業時間を管理する義務がある。
管理というと上から目線だが、社員を縛るためのものではない。
社員が安全に労働できている状態であることについて、会社に責任を持たせるためのものでる。
したがって、法律上、会社が社員の就業時間を把握する義務があり、それは労働者を守るためにある。

テレワーク前が、通常の時間管理制だった場合には、たとえば、朝9時出勤で夕方6時に退勤、昼休みは12時の前後15分以内から1時間などの場合には、在宅勤務でも同じ勤務をしなければならない。
これを就業規則等の改定なしで変更することはできない。

オフィス勤務での昼休みは、弁当か外食、社員食堂の利用が想定されていると思うが、在宅勤務で食事を調理するなら、昼休みの1時間内に収めないといけないことになる。
また、家で子どもの面倒をみながらの在宅勤務であれば、子どもの世話をしている時間は、勤務を怠っていることになる。
簡単にいうと、オフィスに子連れで来て子供の世話をするのと同じ扱いになる。

みなし労働時間制には、事業場外みなし時間労働制がある。
派遣先常駐などで社員の就業状態を直接把握することが困難な状況に選択されるものである。
その点では、在宅で仕事をすると、直接把握できない状況と思うかもしれないが、法律上は以下の条件が含まれている。

●パソコンが使用者の指示で常時通信可能な状態ではないこと
●作業が随時使用者の具体的な指示に基づいて行われていないこと

そのため、在宅でインターネット接続したパソコンの使用を求めていたり、勤務中に作業指示をしたりする場合には、事業場外みなし時間労働にすることはできない。

時間管理制でも、勤務の中断という規程を設けることはできるが、たとえば、1時間ごとに5分間休憩を取ることなどを想定したものであり、子どもの世話などの偶発的なことを想定しているものではないため、在宅勤務にはあまり適していない。

テレワーク中の就業時間

以上のことから、パソコンをネット接続したり、作業を随時依頼したりする在宅勤務では、時間管理制以外の選択としては、フレックスタイム制か裁量労働制になる。

しかし、時間管理制だったものを、フレックスタイム制やみなし労働時間制に移行するには、規則等を事務的に改定する以上の検討が必要になることは容易に想像がつく。

時間管理制から、それらへ移行するための検討ですぐに思いつくのは、社員の業績評価基準の見直しや、その結果の管理職への周知・教育などの事業面のことがあると思う。
それらの課題は、事業部門が想像を働かせれば洗い出していけると思うので、ここでは、見落とされがちな課題を紹介しておく。

在宅での勤務になると、何が就業で、何は就業でないのかの区別の線引きが難しくなる。

その点では、通常の時間管理制は、定めた時間帯の中か否かで判断でき、線引きはいくらか単純になる。

オフィス勤務のフレックスタイム制では、時間は自由だが、オフィスに出勤している間が就業となり、こちらも線引きはできている。

しかし、テレワークでのフレックスタイム制や裁量労働制は、極端に言ってしまえば、社員が就業だと思ったことは就業になる可能性がある。
社員が、夕方にいったん仕事を終えた後で、夜になってからふと気になって、パソコンで会社のメールを読んだら、就業になるのかという問題である。
それが深夜時間帯でフレックスタイム制ならば、深夜残業をしたことになる可能性もある。
残業は、会社からの指示によってのみ本来は発生するが、黙示の指示があった状況とされれば、残業になる可能性があるのである。

そのようなことを会社が把握しなければならないという義務は、本来はとても難しい。
そこで、段階的にテレワークを導入する場合には、テレワークは社員の希望や選択で実施するという建付けから始めることが多い。

先述したとおり、会社が就業状態を把握する義務は、社員を守るためにある。
そのため、その社員が希望して実施するということにすると、会社が社員に強制したことではないということにしやすいからである。

その意味では、今回の緊急事態宣言の前から在宅勤務を導入していた場合も、オフィス勤務をすることができるが、「在宅勤務をしてもよい」という状態だったとすると、今回の宣言への対応で「オフィスではなく在宅で勤務してください。」という指示は、それ以前の在宅勤務と異質になっていることについて再確認の必要がある。(が、再確認の内容については、字数の関係で触れないことにする。)

テレワーク中の労災

フレックスタイム制や裁量労働制にしているのに、社員がしていることが就業か否かの線引きがなぜ必要になるかというと、労災保険適用の判断がひとつの理由である。

たとえば、オフィス内でトレイに行く途中に転んで怪我をすれば、基本的には労災になる。
しかし、それが在宅勤務中だとしたら、どう判断するのかということになる。

以下の事例がある。

自宅で所定労働時間にパソコン業務を行っていたが、トイレに行くため作業場所を離席した後、作業場所に戻り椅子に座ろうとして転倒した事案は、業務行為に付随する行為に起因して災害が発生しており、私的行為によるものとも認められないため、業務災害と認められる。

時間管理制であれば、朝9時から午後6時までなら、業務災害になるということである。実際にも、その時間帯は勤務に専念してもらっていることになるので当然といえば、当然だ。

しかし、フレックスタイム制や裁量労働制のときには、時間帯では決められないことになるので、どう取り扱うかには検討が必要である。

ちなみに、トイレ休憩で離席することは、法律上は生理現象として勤務時間から除外されない。
トイレ休憩ではなく、トイレ勤務ということだ。
一方で、喫煙は、法律上は生理現象として認められておらず勤務をしていないことになる。
したがって、タバコ休憩ではなく、タバコさぼりという違いがあることは、あまり知られていない。
喫煙者からすると、「いや、喫煙室での会話は仕事だ。」と言い出しそうだが、それなら、おやつ室があってもよいじゃないかとかいう話しも字数の関係で触れない。

家の中で転んで怪我をする人は少ないかもしれないが、急遽始めたテレワークを在宅勤務にしっかりと限定しておらず、モバイルワークによるテレワークやBYODをあいまいに認めてしまっていると、歩きスマフォでの事故などの可能性がある。
怪我まではしなくても、会社のメールを見ようとして、私物のスマフォを落として壊れることはあるかもしれない。

そのようなことに備えるためには、「テレワークをしてもよい」のではなく、テレワークを在宅勤務に限定した上で、BYODや定めた以外の勤務をしてはならない。とあらかじめ具体的に決め、なおかつ周知しておくことが不可欠になる。

歩きスマフォをしてはいけない。というためには、移動中は業務をしてはいけない。という覚悟が必要だ。
移動中にもメール連絡はとりたいが、歩きスマフォは禁止するというのでは、つじつまが合わない。

以上のような観点も含めて、労務管理としては、勤怠管理、在席管理、業務管理をしなければならないとされている。

テレワーク中の環境整備

また、テレワーク時の作業環境管理の義務もある。

近年、オフィスでは、「VDT作業における労働衛生管理」に対応したことが記憶にある人も多いと思う。
たとえば、パソコン画面は500ルクス以下、書面及びキーボード面は300ルクス以上の照明として明暗差をなくすなどの照度基準や、椅子と机とパソコンの高さの確認をして、必要に応じて改善をしたはずである。

在宅勤務においては、オフィスで定めている労働衛生管理と同等のことが会社に求められている。
照度確認だけでも、社員ひとりひとりの家庭の確認をするのは、少なくない作業である。

テレワーク中のコスト負担

さらに、テレワーク時のコスト負担がある。

先述した環境整備は会社の義務だから、基本的には、会社にコスト負担の義務がある。

それ以外にも、家で仕事をするために必要になるものがある。
書面での作業であれば、家で使う文房具のコストくらいでわかりやすい。
紙の書面がないクラウドサービスで社員のパソコンやスマフォを使わせるなら、そのコストがある。社員のものを使わせずに、会社のパソコンを貸与する場合であっても、通信回線のコストなどもある。
社員がもともと常時インターネット接続する契約をしていれば、在宅勤務によって追加の支出が発生していないはずであるが、もともとそうでなかったと言われれば、誰が負担するかを決めておかなければならない。
また、在宅で勤務するための光熱費のコストもある。
特に一人暮らしや、共働きなどで、平日の日中は家に人がいなかった場合には、在宅勤務によってエアコンの電気代の追加支出が必要になるかもしれない。

通信費や光熱費については、テレワークをする場合には、手当として要否を検討し、「あらかじめ」定めておく必要があるとされている。
手当をあらかじめ定めておかなかった場合は、手当を払わなくてよいということになるかというと、そうではなく、むしろ逆である。
就業のために発生した支出なのであれば、手当を出すのが基本になるという可能性がある。

電気代については、夏場のエアコン代は少なくない支出になる場合がある。会社に行っている間は、エアコンを使っていなかったとすると、2倍近くに増える可能性もある。1日7時間寝て17時間起きているとすると週に約120時間起きてることになる。一方で、平日の日中に在宅勤務すると、通勤時間の分も在宅になり、1日10時間家に居る時間が増えるとすると週に50時間家に多くいることになる。単純に計算すれば、家にいる時間が週70時間だったものが120時間になる。

先にも述べたが、テレワークを順次拡大しながら導入するなら、在宅勤務条件として、これらのコストの本人負担があっても在宅を希望する人などから導入を始めることができる。
希望者に対してであれば、「光熱費や通信費などの手当てがないですが、在宅での勤務を希望するならば、在宅勤務をすることができます。」という導入ができるということである。

テレワークに必要な社内ルール

以上で説明したこと以外にも、「テレワーク勤務に必要な社内ルールづくり検証項目チェックリスト」では、以下のことが示されている。

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「テレワークしてもよい」と「してください」の違い

今回の緊急事態宣言では、政府や自治体は、「なるべく、在宅で勤務してください。」と市民に要請した。
これに応じて、会社が社員に「在宅で勤務してください。」と指示した。
なんとなく、在宅勤務を指示したのは、会社ではなく、政府や自治体であるような流れになっている。
しかし、上記のように書き改めてみると、指示したのが会社であることは明らかだろう。
テレワークについてITなどの情報管理の課題は、誰が指示したかによって違いはないものの、労務管理の課題は、違いがあることになる。

つまり、「テレワークしてもよい」と、「テレワークしてください」とは労務課題としては、抜本的なところで異なることを踏まえつつ、現状のテレワークが、「なんだ、テレワークって思っていたより簡単にできたな。」と思う事なかれと老婆心ながら紹介した。

詳細については、参考資料のリンク集を下記に用意しておいたので、そちらを参考にするとよい。

テレワーク導入のための社内規程類の改定に関して、ここまで読んでもよくわからなかったなんてことはないはずだ・・・が、コンサルティングについて オフィス四々十六 に相談してもいい。(ぺこぱ風)

注:本稿は、経営者向けの記事です。社員が読んで「え?在宅勤務に必要な照明器具とか椅子とか電気代って請求できるんだ!」などと悪知恵をつけてはいけません。。。

参考資料(リンク先は2020年4月時点)

厚生労働省

働き方・休み方改善ポータルサイト参考資料 → テレワーク-資料

テレワークではじめる働き方改革 テレワークの運用・導入ガイドブック [PDF]
 Ⅱ 実践編 第4章 テレワークのためのルールづくり

テレワーク導入のための労務管理等Q&A集 [PDF]

テレワーク総合ポータルサイト関連資料

テレワークモデル就業規則~作成の手引き~ [PDF]

国土交通省

テレワーク推進フォーラム

○THE Telework GUIDEBOOK 企業の為のテレワーク導入・運用ガイドブック
 
6章 テレワークに関する社内ルール作り [PDF]
  図表6-2 テレワーク勤務に必要な社内ルールづくり検証項目チェックリスト

総務省

テレワーク情報サイトガイドブック

情報システム担当者のためのテレワーク導入手順書 [PDF]
 第4章 ルールの整備 2.労務管理

在宅勤務ガイドライン [PDF]

4月 17, 2020 | | コメント (0)

2018年8月 2日 (木)

「人材に投資することの重要性をわかっていない」と叫ぶ愚かさ

人材に投資されないのは、その投資を金銭的に回収できる人達がいないから。人材に投資してくれないと嘆く分野の人達は、金を稼ぐことだけに長けている人達に敬意を払わない傾向がある。自分を卑下してる人達に投資をしようとする人は少ない。

 

アメリカにおいては、苦労が報われて大成するアメリカン・ドリームのヒーローもいるが、結果的に労せずして収益を得る人もヒーローだ。
自分が尊敬しているヒーローから高く評価してもらえることを報償ととらえ、さらにそのヒーローを尊敬するという正帰還を構成する。
その評価の程度は給与額として可視化される。報奨は高評価であって高給ではない。

 

投資する者から投資される者への単方向の関係性でしか考えない分野(昭和の人はこれをクレクレタコラと言う。)では、その投資は正帰還を生まない。
両者が互いに敬意を払い高く評価し合うという双方向の関係性においてのみ、投資の正帰還が作られうる。

 

日本はこれまで、先行するアメリカを追走し、その後それを追い越すことができた分野が多かった。
それは、アメリカが事業の収益化の方策を考え出し、その収益化方策の原形の下で事業効率を高めることが得意だったと言える。国際競争力は、事業効率を高めることだった。
つまり、事業に従事する者達の貢献が重要だった。それは、不眠不休の弛まぬ努力だったかもしれない。
ジェフリー・ムーアの言を借りるなら、ゴリラが作った原形の下で事業をしているうちに、チンパンジーの群れの中から、ゴリラの収益を凌駕する賢いチンパンジーが出てくる機会があった。

しかし、今はその収益化原形を考え出したか否かが競争に求められている。
その原形を作った最初の者に利益は独占される。ただし、そこに競争が必要なため、実際には同じようなことを同時期に考え出した次の者との2者で独占する。
かれらを2頭の竜と呼ぶなら、それ以外の3番手以後の追従者は、地面を這う蛇にしかなれない。
つまり、事業を立案する者の貢献が最重要になった。それは、一瞬のヒラメキでなされるかもしれない。

 

 

 

前者の状況であれば、単方向の関係性でもある程度は回る。しかし、後者の状況では、双方向の関係性が必要であり、むしろ、投資する者に対して払う敬意の方がより重要になる。
必要なのは感謝ではなく、敬意であり、すなわち評価である。

 

 

 

「人材に投資することの重要性をわかっていない」という言葉には、投資する者への敬意がたりない。

8月 2, 2018 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 1日 (金)

PDCAはサイクルではなく同時進行させるべきもの

PDCAをサイクルにしようとすると、おかしくなる。

PDCAは4本同時進行させるべきものだ。

 

Plan, Do, Check, Actではなく、Planning, Doing, Checking, Actingとして同時に-ingさせるもの。

 

Pdca_3

 

そのようにすれば、PDCAのAがActなのかActionなのかとか、PDCAよりOODA(Observe, Orient, Decide, Act)の方がいいとかは、大したことではなく、むしろ、組織ごとに気になることがあれば、5本以上走らせたっていい。

アイゼンハワー大統領がノルマンディ上陸作戦の計画段階で言ったとされる言葉がある。

"Plans are nothing, planning is everything."

PlanではなくPlansと複数形なこと、planではなく日本語にしにくいplanningであることの意味を十分にくみ取った邦訳が見当たらなかったので、自分なりに訳すとこんなかんじ。

「計画(書)に熟慮を重ねることが重要なのではない,計画(作業)を継続することが重要なのである.」

だから、PDCA Cycleと言わずに、PDCA Threadsと呼ぶ方がよい。

12月 1, 2017 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月20日 (火)

BYOD導入のための3ステップ

フレックスタイム制を導入した企業が、それを中止することがあるそうだ。

ダイヤモンド・オンラインの記事「フレックスタイム制が好評なのに廃止へ向かう理由

フレックスタイム制を外形的にだけ導入してしまうと失敗することは、あり得るだろうなと思った。

フレックスタイム制導入の前には、業務の成果査定体制が必要で、それが問題なくできるようになってから、フレックスタイム制を導入できる。
フレックスタイム制を問題なくこなせれば、フレックスワークプレース(テレワーク)を導入でき、それも問題なくこなせたら、いよいよBYODの導入ができる。
ひとつ前のステージを完璧にこなしてから、次のステージに進むべきという、組織論のピーターの法則の典型例のようなものだ。

上記の記事で書いているような、勤務時間がルーズになることは問題なくて(というか、それがフレックスタイムなのでは?というかんじw)、ルーズでも成果を出してもらえばよく、その成果をどのように評価するかを決めて、それに則って現場の管理職が査定できるかが問題だと思うのだけれど、どうだろうか。

そういえば、BYODはIT戦略に位置付けるのではなく、人事政策に位置付けるべきという紹介を何度かした気がしたので、昔の講演を探してみた。
ご興味あれば、ご笑覧ください。

YouTube「BYOD導入のための3ステップ

9月 20, 2016 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 4日 (水)

人材育成策を誤るとその分野は衰退する

ひとつの産業分野が発展するライフタイムは、概ね50年という目安があるようだ。
IT産業分野の開始をどこから計るのかは難しい。
コンピュータが実務で使われたのは、アメリカ軍の大砲の弾道計算のシミュレーションが最初だと聞く。

 

そこから計ると、そろそろ終末の時期を迎えている。
ここで注意しなければならないのは、産業分野のライフサイクルではなく、発展のライフサイクルということである。
IT産業で言えば、ITが社会からなくなることはないだろう。
そのため、IT産業に従事する者は、自分の分野だけは過去の分野とは異なり、永遠に存在する分野なのだと楽観する。
それは間違っていないが、ただ、存在するのと、発展を継続するのは異なるのだ。
過去の分野も消滅したものはなく、発展しなくなっただけだ。

 

IT産業はどうだろうか。
過去のものと同じく存在し続けるが、発展については、よく考えた方がよいかもしれない。
なぜ、産業分野の発展はライフサイクルを持つのだろうか。
そして、それが50年間という数字は何を意味するのだろうか。

 

50年間という数字は、50年に一度、華やかな分野が出現するということではない。
ひとつの分野の発展が生まれて消えていく波のようなものだとすると、ひとつの分野の波は、次の分野の波に直列的につながってはいない。
ひとつの波と重なるようにして、次の波が現れ、波から波に移っていくようにして、発展する分野は交代していくのだろう。
波の重なり具合によって、華やかな分野の出現は50年よりも短い時間で訪れることになる。

 

分野の発展のライフサイクルは、分野を支える人材と関係することのように思えてきた。

 

※この記事は書きかけです。○○○○○の箇所に何かもう少し書こうと思っています。

 

【失敗は成功のもと】

 

失敗の経験なくして成功はしがたい。
ビジネスが確立していない分野、言い換えれば、企業が収益の柱としていない新興分野については、企業は失敗を許容する。
悪く言えば、失敗しようが成功しようが、どうでもいいと思っているかもしれない。
そのような期待されていない環境で、人は小さな失敗の経験を積み重ねて成長することができる。
かれらにとっての成功は、常に、以前に経験した小さな失敗と同程度か、それよりもほんの一回り大きな成功だ。成功を高くは期待されていない中で、人は様々な試行錯誤を経験することができる。ある意味、ダメもとの精神が冒険的な試みを躊躇することなく、経験の幅を大きくする。たとえば、失敗についての心配が皆無ではないような試みも、実際にやってみて本当に失敗するかを検証するなどということも大胆に行なうことができる。そのような失敗がまったくの無駄ではなく、その経験から、成功のヒントや、失敗の再発防止のヒントが得られることもある。必ずしも成功の経験だけが有益なのではなく、多種多様の経験からは必ず何かを得られるものだ。
それに対して、ビジネスとして確立した分野については、企業は成功だけを奨励し、失敗を未然に防ぐように仕向ける。ベストプラクティス、成功事例などという言葉が現れてくれば、その兆候だ。
その結果、その分野に後から入ってくる者は、失敗の経験を得る機会を減らすことになってしまう。失敗の経験を減らすことは組織としては一見有益だが、個人にとっては必ずしも有益ばかりとは限らない。個人に有益でないことは、中長期に見て、組織にとっても実は有益ではなくなる。

 

失敗は成功のもと。という実に基本的なことを企業は見失うことがある。
失敗を単に不要なものと決めたとき、成功のもとがなくなりはしないかを、その事業分野で慎重に考察する必要がある。
事業分野によっては、成功のもとの多くが失敗であるかもしれないということがないとは言い切れない。

 

ここでいう失敗には、既知のものと、未知だったものがある。
○○○○○

 

例外的なことの発生しない分野については、それでよいかもしれない。しかし、例外的なことが発生しない分野とは、その分野の成長が見込まれていないと考えることもできる。
どんな分野でも、多かれ少なかれ、例外は発生し、それに対処することは求められていると考えるのが妥当だろう。
例外に対処することを含む分野では、・・・
失敗を未然に防いであるような環境の中では、人は失敗を自らの経験としては体現せずに、失敗は知識としてだけ蓄積していくことになる。
経験から知識は生まれるが、知識から経験は生まれない。
その結果、予め想定された失敗以外についての対処は、・・・

 

失敗に対処する能力というのは、小さな規模から大きな規模に、経験を段階的に積んでいくことでしか、人は身につけることができない。
スポーツで言えば、まったくの初心者が上級者向けのことだけをしていれば、失敗の経験をいくら繰り返しても、基礎を身につけることができないことに似ている。(ここでイメージするスポーツとは、初級者と上級者によって、与えられる条件は同じで達成難易度だけが上がるものよりも、与えられる条件そのものが変わるようなものをイメージするとよい。たとえば、スキーなどは、初級者コースと上級者コースで条件が異なる。)
初心者は、初級者向けの訓練をして、その後、段階的に中級者、上級者コースに進む方が、初級者コースを経験せずに上級者コースでの失敗だけを繰り返している者よりも、早く、上級者コースを習得できるのである。(もちろん、最終的に上級者コースを習得できるかは、本人の資質などにも依存するが。)

 

段階的に経験させるときに重要なことは、小さな規模のうちには、ある程度の失敗を経験させることが、例外対処能力の獲得に役立つということだ。
小さな失敗を克服しているだけでは、大きな規模になってからも、最低1回は同じ規模の失敗を許容するしかないかというと実はそうではない。
小さい規模の例外対処能力を着実に身につけていることで、その後、大きな規模の仕事を任されるようになっても、失敗が小さい規模のうちに、それを改善できるようになり、結果的に大きな失敗には到らなくなると考えることができる。
逆に、小さい規模での失敗の経験がない者は、大きな規模でいきなり大きな失敗をして、それに対処できないということが考えられる。
先のスポーツの例で言えば、初級者コースから始めていれば、上級者コースでいきなり大怪我になりにくいのと同じだ。

 

しかし、企業ではビジネスが成長するとともに、そこでは、大きな規模の仕事だけを取り扱うようになる。
後進の者は、小さな規模のビジネスを任されるという機会は減り、大きな規模のビジネスの一要員となって仕事するようになってしまう。そのような環境では、失敗は未然に防止され、防止のための知識を得ることはできても、実際の失敗を経験することはできない。
そのような一要員が、やがて就業年数を積んで、仕事を任せなければコストの採算が見合わないような年齢に達したとき、任せられる仕事は、いきなり大きな規模の仕事しかないということについて注意しなければならない。
かれらは、予め想定された既知の失敗を、予め先人が定めた手順どおりに対処することには、相当の経験を持っているはずだ。
しかし、失敗の未経験者が、未知の失敗を見つけ出したり、それに対処することができたりするかは未知数だからだ。
大きな規模での未知の失敗が発生したときには、ただ幸運を祈るしかない。
運に頼りたくなければ、大きな規模のビジネスも取り扱うようになった企業は、新人に小さな失敗を経験させるための環境をどのように与えるのかを考えなければならない。

 

ただ、IT産業界においては、大きな失敗の際に不運が起こる頻度がいまのところ多くないように思われる。
むしろ幸運にも、なんとか乗り切ってしまう。
不運の発生頻度が少ないために、それらの失敗は温存されやすくなり、例外対処能力の重要性が見落とされやすい。
不運の頻度が少ないことは不運だと言える。

 

【人は育てるものではない】

 

人は育つものであって、育てるものではない。

 

適正のある者には、何も指導しなくても、自分で育っていくものだ。
逆に適正のない者には、どんなに労力をさいて指導をしても育たないはずだ。
人が人を育てる。ということは、成り上がった想いなのかもしれない。
その成り上がり精神は、些細な配慮を欠くだけで、戒められることになる。

 

職場は教育の場ではない。
学校では、自分の適性を知るために分野を眺めるべきだ。
そして自分の適性に合ったと思う職場を選択して就職すべきだ。
職場で、自分の適正を引き出してもらおうとするのは筋違いだ。
と言ってしまうと、みもふたもないだろう。が、少なくともその考え方を基本とすべきだろう。
とはいえ、自分の適性を見誤った者が職場に入ってくることは避けられない。
そのときに、その人それぞれに見合った仕事の内容や進め方を指導するのは、直属上司の責務ではある。
しかしながら、適材者がほとんどいない職場を現場上司だけでなんとかするのは無理だ。
基本を貫くためには、事業の運営が重要だということになる。

 

【○○○○○】

 

人材育成の方策を整備すれば、その分野には秀逸な人材は訪れなくなる。

 

人材育成の方策を整備するということは、レールを敷くようなものだ。
そこには、敷かれたレールを走りたいと思う人が多くくることになるだろう。
そこには、物事は教えてもらうのが、当たり前と思う人が多くくることになるだろう。
そこからは、自分でレールを敷きたい、新しい道を開拓したいという人は敬遠するようになる。
レールの敷かれたその分野には、長老がはびこり後進の失敗に、舌打ちをするからだ。
ころばぬ先の杖。という言葉があるが、その杖は自分で探してつかむからこそ、その有難みがわかるというものだ。
ころびそうな後進に、ころばぬ先から杖を渡すのは、先輩の自己満足に他ならない。
渡された者は、実際にまだつまずいたことすらなければ、その有難みを本当にはわかり得ないものだ。

 

○○○○○

 

ロードマップなどというものを作成した時点で、その産業の成長は減速し、停止する。
ロードマップの意味からも、それは当然だ。
分野におけるロードマップを作成したいという想いは、その分野に先に入った者が、自分を頂点にするためのレールだ。
そこには自分よりも劣る者しか立ち入るな。と書いているのに等しい。
自分の道を開拓したいという者は別のところに行け。と書いているのに等しい。
ところが実は、その分野を実際に立ち上げた有能な者は、そういう想いはないように思う。
かれらは自分が歩んだのと同じように、後進にも好きなように歩ませるのでよいと思っているに違いない。
そうではなくて、実際にロードマップを作りたがるのは、その分野に先に足を踏み入れてはいるが、実際には無能である者や評論家的立場である者が多い。
無能である者の中には、後から来る有能な者にその分野で活躍させ、そこからの搾取で自分の利益を獲得しようと思う輩もいる。
そのため、ロードマップ作成を先導する者は、自らでは作成できず、人のいい有能な者達から情報を抜き出して作成するという手法を取りたがる。
そのような無能な者が、分野にはびこったときに、その分野の成長は止まるのだろう。

 

ロードマップを作ると、次は人材育成のカリキュラムを作ろうとする。
そういう無能な者に育成される程度の者しか集まらなくなるのであるから、その分野の行く先は知れている。

 

ロードマップやカリキュラムなどの人材育成の方策の整備ではなく、人材育成の環境だけを漠然と提供する方がよい。
すなわち、後進が必要とするときに、先輩が後進に知識を与えることができるコミュニティの形成だ。
ほんの少し、先輩が口を出すのを許すとするならば、先輩が自らの行なっている仕事の内容についてを、どのようにその内容を立案し、決定し、何を注意しながら行なっているかの解説をする。ということはあってもよいだろう。
情報共有という観点では、成功例よりも、むしろ失敗例の勉強を好むようにすることもよい。
成功例だけを取り上げ、こういう状況ではこうすればよい的な、成功を一般論化して体系整備するのも、やめた方がよい。
ロードマップやカリキュラムのような定型の整備ではなく、試行錯誤の連続を意識した上で、分野内における既知の失敗の再発防止についての情報共有の仕組み作りに専念することが有益だ。

 

ころばぬ先の杖で喩えるならば、杖を渡すのではなく、杖は単に使っているだけでよい。
杖を意図的に見せることすらしない方がよい。
「杖の存在にまだ気づいていない後進がつまずいたときに、なぜあの先輩はころばなかったのだろうか?」と考え、「そうか!あのとき先輩は杖を使っていたからだ。」ということを自問自答した者から、杖について聞かれたときに、「杖の説明をする」というのが理想的だ。理想的と言っているのは、これをどこまで現実的なところで手を打つかの妥協の範囲はあるということだ。
つまずくのと、ころぶのとは異なる。ころばなくても、つまずいただけで、ころぶことを予測し、それについて考える能力を持っている人がいる。つまずく経験すらさせなければ、その能力の違いを知ることはできないし、その能力が伸びないかもしれない。
つまずくことで、ころばぬためのことについて意識をして、物事を考える能力を培うような環境が重要だ。
そのような者が集まる環境で、分野は成長し続けるはずだ。

 

逆に、この環境では、実務として無能な者は生き残ることができない。なぜなら、後進に指導をできない者は、存在価値がなくなるからだ。
実務能力のない者が、先に居るという理由だけで、他者からの搾取によって生きながらえるという環境になることは、その分野を発展させる人材の獲得をやがて失うことになる。
ロードマップ作成や、カリキュラム作成、人材育成などでは、そのことに十分に注意して、そのような環境にならないように PDCA を持続しなければならない。それができないのであれば、むしろ、しない方がましである。

 

【大御所の現れはその分野衰退の警告】

 

新しい分野を開拓した者は、次にその分野に入植してくる者に対して、変な期待をすることがある。

○○○○○

 

【IT産業に開拓精神のある人材を確保し続けることはできない】

 

発展のライフタイムが、分野を変えて波のように繰り返すことの原因がここにあるように思う。
50年間という期間が、その分野を開拓した者達が社会から引退するまでの期間としてみるとわかったような気にもなる。

 

産業そのものが進化するためには、新しい分野が発展する必要がある。
ところが、新しい分野を開拓できる人材の数は、世代が変わってもそんなには変わらないのであろう。
そうであれば、新しい分野を立ち上げて発展させる者達は、移り行く波を乗り継いで行くことになる。
何かの発展がさびれ、何かの発展がたち生まれていくことの繰り返しだ。
そう考えれば、仮に、IT産業が最善の人材環境を構築できたとしても、そこに開拓精神のある人材は獲得し続けられないと考えてみるべきかもしれない。
そこにいつまでもとどまらせてしまっては、次の分野の開拓が進まないということになる。
次の分野の開拓にかれらを回し、残された分野はその維持に務めるような人材が支えるのである。
そのとき、その分野は発展産業ではなくなるのかもしれない。

 

IT産業にとって、いつまでが発展期なのかは誰にもわからない。結果的にわかるだけのことだ。
ただ、開拓精神のある人材が訪れない環境を作ることは、IT産業発展のライフタイムをみずから縮めることになってしまうことは確かだろう。
寿命をまっとうするためには、人材育成のあり方が鍵であり、少なくともそれは延命策ではなく、どれだけ短くせずに済ませられるかということだけなのだろう。

 

※2023年追記

【リスク管理できる人材の育成】

リスク管理スキルを向上させるための日々の鍛錬に役立つのはSWOT分析だと思う。
極端に言えば、SWOT分析のWTをしっかり書けていない人は、他のことでよい結果を出していても幹部にしないくらいのことが必要なのかもしれない。
運がよくて成功したのか、リスクを管理しながら成功したのかを見極めることは重要だからだ。
これをちゃんとやらないと、正直者がバカをみるキャリアパスになりかねない。

組織全体としては、本来は情報セキュリティに限らない包括的なリスクマネージャが必要で、日本企業には「ご意見番」として存在していたのが、どんぶり勘定経営が縦割り経営になる過程で減った印象がある。
日本企業の経営会議では、ご意見番を輪番制にするとよい。当番の人は、議題について反対意見を意識して述べるという役割にする。普段なら賛成する議案であっても、とにかく重箱の隅をつついて無理やりでも反対理由を探して意見するという役割だ。
輪番制にするのは、反対意見に禍根を残さずに、当番になったときのお互い様で済ませられるようにするために有効だ。

 

1月 4, 2006 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月31日 (土)

IT産業分野の失策

事業に関する「運営と運行」を整理して分ける事ができるようになったため、いままで少し思っていた別のことの整理が進んだ。

それは、人材育成についてのことだ。
およそ8年前に事業戦略策定を考えていたときに整理した「2種類の財布」と「2種類の使い方」という、人材育成とは一見関係のない視点の話しから始めることにする。



【2種類の財布:コンシューマとエンタープライズ】

IT市場のお客様には、2種類の財布が存在する。
それは、コンシューマ(消費者)の財布とエンタープライズ(法人)の財布だ。

●コンシューマの財布

WHAT:
この財布には、自分の満足を高めるために一時的に手元に持っているお金が入っている。

WHY:
満足をより高めるためには、財布以外のお金も使うことができる。使おうと思って予め引き出した現金と、足りないときのクレジットカードを想像すると理解しやすい。
逆に、満足を得られないと思えば、使おうと思って引き出していた財布のお金を1円も使わないと決めることができる。

WHEN, WHO:
満足を得るために、「使うかもしれないお金」と言える。
いつ使うかは、本人が使うかどうかを決める。

●エンタープライズの財布

WHAT:
この財布には、決められた目的達成のための手段を実現するために与えられたお金が入っている。

WHY:
与えられたお金以上の金額を使うことは通常できない。
与えられたお金を残すことは通常ない。そのお金は、目的達成のために何らかの使われ方をする。
目的をあきらめた場合に限って、そのお金を使わないということが考えられるが、そのような場合には、目的が変更されて、やはりそのための何かに使われるのが一般的だ。

WHEN, WHO:
目的達成のために、「使うと決まっているお金」と言える。
使うかどうかを組織が決めている。それを任されている人が使いかたを決める。

●SMB(Small & Midium Business)の財布

かれらは、コンシューマのように振る舞ったり、エンタープライズのように振る舞ったりする。
そのときどきに応じて、かれらが、どちらの顔を示すのかを見極めるのは難しい。
ときとして、かれら自身もどちらで振舞うのかについてわかっていないことがある。
SMB においては両方に備えるしかないのだろう。



【2種類の使い方:カスタマとクライアント】

お財布の種類は2種類あるが、その使い方に2種類ある。
それは、カスタマ(顧客)的使い方とクライアント(依頼人)的使い方である。

●カスタマ的使い方

HOW, WHERE:
この使い方は、自分の満足を高めることができる商品を、市場にある商品の中から選択する。

より多くのカスタマに対して、繰り返して売る事ができる商品を用意することがビジネスに役立つ。
この場合、繰り返しとは、異なるカスタマに対する空間的な拡大販売と、同じカスタマに対する時間的な追加販売の両方が含まれる。
商品の一部についてカスタマイズに応じることは有益だが、日々の運行において、まったく異なる個別の要望ごとの商品を1から用意することは、大きなビジネスとしては有益ではない。(※注)
繰り返して売れる部分を商品に多く持たせることが重要である。
新規カスタマを増やすためには、マーケティング戦略などを活用することでマスで対応することができる。

(※注)フルカスタム・メードを期待する需要があるのは事実で、そのようなニッチなビジネス領域はあるが、ニッチであるからこその需要だと思う。

●クライアント的使い方

HOW, WHERE:
この使い方は、自分の手段を実現することができるソリューションを、それを提供できる者に依頼する。

個々のクライアントに対して、個々の期待に沿うソリューションを提供できるようにすることがビジネスに役立つ。
繰り返して売る事ができるソリューションを用意することは、マクロ的に見れば、運行効率を高めることに役立たない。
新規クライアントの開拓に相当のコストを要するため、
ソリューションを購入してくれたクライアントが次に希望するソリューションを、クライアントの要望に応じて用意することの方が、運行効率を高める場合が多い。



【2x2=4つのビジネス象限】

コンシューマとエンタープライズという2種類の財布と、カスタマとクライアントという2種類の使い方を組み合わせて、4つの象限に分けてビジネスの特性を整理することができる。

・ コンシューマ・カスタマ
・ コンシューマ・クライアント
・ エンタープライズ・カスタマ
・ エンタープライズ・クライアント

IT市場においては、コンシューマ・クライアントというのはニッチとなるであろうから、これら4つを大まかには、以下の2つに整理することもできる。

・ カスタマ
・ エンタープライズ・クライアント



【エンタープライズ・クライアント・ビジネスの失策】

エンタープライズ・クライアント・ビジネスについては、個々の期待に応じる能力のある人材が運行に従事しなければならないことになる。既製商品をただ選択させるだけではないビジネスだからである。
人材としては、そのような個々の期待に応じる能力のある人材とそうではない人材を比べた場合、当然前者の方がコストも高く、また調達も比較的困難になる。
だからといって、ビジネスの生産性を高めるために、個々の期待に応じる能力のない人材をエンタープライズ・クライアント・ビジネスの運行に従事させるのは誤りである。
誤った運行というよりは、運営なき運行と言うのが正確である。

このミスリードは、カスタマ向けのビジネス戦略を、エンタープライズ・クライアント向けに誤用したと思われる事例が散見される。
カスタマ・ビジネスにおいては、「繰り返しが金(GOLD)」であるが、エンタープライズ・クライアント・ビジネスでは「繰り返しは禁」とまでは言わないが、必ずしも最良策ではないという認識があまりに低い。
これは、カスタマ・ビジネスだけを習得した MBA 人種による勉強不十分によるミスリードと思われる向きもある。

そのような何らかのミスリードによって、ソリューションを繰り返し売るために、容易に調達できる人材を十分な育成もしないでエンタープライズ・クライアント・ビジネスの運行に採用した。
その結果、個々の期待に沿うことができるソリューションを提供できる人材の数が、エンタープライズ・クライアント・ビジネス市場の成長率と同程度には増えておらず、エンタープライズ・クライアント・ビジネス産業全体に占める割合は、実際には低下した。

その結果、ここにきて、IT産業のエンタープライズ・クライアント・ビジネスにおける品質低下の兆候が見られるようになった。
これは、ビジネス戦略を運営がミスリードしたことで、人材の適材適所を誤った運行が生じた失策として多いに見直さなければならないことであるが、IT業界のエゴは止まらない。




【人材育成】

ここまでの整理をすると、人材育成は、4つのビジネス象限を分けて考えなければならないことが推定できる。
そして、育成によっては人材の調達ができないと考えなければならない象限が存在していることにも気づかされる。
人材育成をすべきではない象限において、育成策を講じることは、百害あって一利なしとなるので注意しなければならない。
これを見誤ると、高品質のソリューションを提供する能力のある人材は、やがてIT産業には訪れなくなる。
その結果、IT産業全体の品質が低下して、さらに優秀な人材の獲得もできないという負のスパイラルが起こってしまう。

たとえ実際にやっていなくとも、やればできる人材がいる間は、その産業は回復できるが、できない人材ばかりとなったときには、その回復はもはや期待できない。
いったんそうなると、できない人材が食えなくなって自主退場するところまで、産業規模が落ち込んでから、適正な人材の規模で回復することになるのだろう。
そうなるくらいなら、適材適所となっていない人材を強制退場させることも考えなければ、正しい運営とはいえない。

12月 31, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)

運営と運行

この季節は、1年のうちでもっとも短時間で視野を広げることができる。
通常3ヶ月くらい思案しなければならないことが、一晩で飛躍的に整理が進む。

なぜこの季節かというと、会社を去った諸先輩との呑み会があるからだ。
仕事に忙殺されているいまとなっては、夜8時から朝5時まで議論を白熱させられる機会は、この季節以外にはあり得ない。

ただ、10時間の呑み会では、おもしろいことに、最初の6時間以上の議論は、最後の2時間程で得ることになる情報の前振りに過ぎない。
これは毎年同じだ。
議論するときには、背景の理解と使う言葉の定義という前振りがいかに重要なのかがわかる。
奇しくも、その配分は8:2に相当している。

この呑み会では、多くの話題について行ったり来たり飛び回るが、背景色は一色だ。
大先輩が設定したカラーは、今回に限らず文字にすると、いつも単調だ。
「知って学び、思って得る。」「Outside to Inside, Inside to Outside.」

この言葉はとても共感することだが、これそのものを紹介するのは別の機会にする。
ここでは「知った」言葉としての「運営と運行」について紹介することにする。
紹介するために文章を書くことは、「思った」ことになる。
そして、ブログに載せることは、Inside to Outside ということだ。

●運営と運行

事業を運行するのが CEO であり、オール漕ぎの号令役。
事業を運営するのが President であり、舵取り役。

運営力を失った会社は、運行力だけでは成長できない。
むしろ、衰退する潜在的可能性の方が高い。

企業には短期的ではないビジョンを示す President が必要である。
それがなければ、CEO が売り上げ・利益を追求するだけになってしまう。
しかし、売り上げ・利益を追求するだけでは失速する。
売り上げ・利益ではないビジョンも追求する会社が、結果的に、売り上げ・利益を成長させることができる。

会社のステークホルダは、運営と運行の両方の価値を高めることに興味をもつべきだ。
しかし、ステークホルダのうち株主において注意すべきは、デイトレーダに代表される短期投資家の存在だ。
かれらの主たる興味は、運行利益のみとなりやすい。
それによって株価が左右される場合には、その株価の維持にばかり気をとられてしまうと、結果的に、運営がおろそかになり運行を過度に優先するということが起こる。
これを防ぐことを CEO に期待するのは、正しくない。
CEO は運行に責任を持つ者だからだ。

CEO が運行の向上に全力を注ぎつつ、運営を司る President が的確な舵取りをしなければならない。
President と CEO を兼務するのは、至難の技であるとともに、求められるスキルが異なるため、分業にした方が President と CEO に最高の人材を起用しやすくなるはずだ。

ここで述べた President & CEO の定義からすると、日本では、CEO を社長と呼び、President を会長と呼ぶことがある。

また、President が舵取り役で、CEO がオール漕ぎの号令役であると考えるならば、
会社全体の CEO の下に、Company などの事業部制を設けて、そこに President を配置する場合には、そのことに十分な注意が必要となる。

事業を行なうとともに、営むことが必要不可欠なのである。

この2つを分けて考えてみると、「IT産業分野の失策」についての整理を進めることができる。

12月 31, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)