2016年7月29日 (金)

ポケモンGOで「正しい歩きスマフォ」の練習を子供にさせてもよいかも

ポケモンGOがきっかけで、歩きスマフォを禁止する議論がありますが、正しいやり方を考えてもよいのではないかなと思っています。

わが家は、子供向けに、歩きスマフォは禁止でなく正しい歩きスマフォのルールを決めました。

1.歩くときは、スマフォの「画面をおへそに付けて」前を見て歩く。
2.立ち止まるときは、後ろの人にぶつからないよう「後ろを確認する」。
3.スマフォを見るときは、止まって「目と同じ高さ」で周囲も見る。
4.スマフォを見るときは、壁があれば「壁を背にして」他の人の邪魔にならないようにする。

決めたら、決めたことを正しくしている様子を写真に撮って、それを本人に見せて「これからも、こうやってやろうね」と言い聞かせておきます。
すぐには、ちゃんとできるようになりませんが、それぞれにキーワードを入れてあるので、できてないときには、「ほら、おへそ、おへそ」などと言えば、正しいやり方を思い出して直します。

20160728_014635000_ios

ルールを作るときには、禁止することを決めるより、推奨することを決めるのがよいと思っています。
たとえば、「ここでは走らない」というより、「ここではゆっくり歩く」とした方がよい。
その説明として、「だから、走ってはいけない」という順番。
そのため、スマフォを見ながら歩かない。とか、急に立ち止まらない。というより、どうするのがよいかをルールにしてみました。

スマフォを見ながら歩きたい子に、スマフォを見ながら歩かない。と、やりたいことを単に全否定するルールは不毛です。
子供は一方で、親に言われたことを守ろうとも思っているはずです。
なので、スマフォの画面をおへそに付けるをルールにすると、それを守ると画面が見れなくなるので、結果的に画面を見なくなるというルールの建て付けをする方が、スマフォを見ながら歩かないというルールよりは、比較的ましだと思います。

ちなみに、歩くときにスマフォ画面をおへそに付けるルールですが、ポケモンGOでは、スマフォを上下逆さにして液晶を消灯させると、バッテリーも長持ちするし、スマフォが熱くなるのも防げます。「バッテリーを長持ちさせるために、そうするんだよ」という理由も追加してもよいかもしれません。
ポケモンGOでこの機能を使うには、設定画面から「バッテリーセーバー」をONにします。

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正しい歩きスマフォが身につけば、今後、地図アプリを見たり、メールを見たりもできるようになって、将来、役立ちそうです。
いまの子供達がこれから育つにつれて、スマフォの利用度はあがるでしょうから、ポケモンGOをきっかけに、歩きスマフォを禁止するよりも、スマフォの利用リテラシを高める機会にとらえてもよいかなと思いましたが、各ご家庭それぞれのお考えのあることだと思いますので、ご参考まで。

7月 29, 2016 | | トラックバック (0)

2015年3月14日 (土)

成田空港に無料で泊ってみた

最近、国内旅行にLCCを使うようになったのですが、首都圏からは羽田空港ではなく成田空港からの発着のため、早朝出発便だと家から電車では間に合わない便があります。

空港周辺のホテルに宿泊すると、飛行機代より高くなって本末転倒するし、
空港内にあるカプセルホテルに泊まることもできますが、それだと、数千円の宿泊費がかかってしまい、やはり LCC の激安感が薄れてしまいます。

Ninehours1_2

Ninehours2_2

そこで・・・
成田空港に無料で泊ることにしました。

せっかくなので、お金をかけずに空港ロビーで寝ましょう。
以下は第2ターミナルの様子を紹介しますが、各ターミナルの地上1階ロビーで寝ることができます。
ちなみに、上記のカプセルホテルでシャワーだけを1時間千円で使うことができます。

Lobby1_2

椅子で寝る人のために、空港が肘掛のない椅子を設置してくれています。

Lobby2_2

ロビーには無料WiFiあります。
フリースポットを使う場合は、使う前にセキュリティ確認をお忘れなく。
速度は実測で15Mbpsなので十分でしょう。

Wifi1_2

Wifi2_2

椅子の近くにコンセントがある場所は限られています。
タコ足などを持参して、譲り合って使いましょう。

Lobby3_2

こんなかんじで寝れます。

Lobby4a_2

Lobby4b_2

Lobby5_2

成田空港の最終便は午後10時です。
それまでに椅子を確保しましょう。
椅子を確保できない場合は、床に寝ることになります。
それに備えて、寝袋持参で行くという手もありますが、荷物が増えるので空港に早く行く方がよいでしょう。

Timetable_2

Sleepingbag_2

ターミナル内には24時間営業のコンビニがあります。

Seveneleven1_2

Seveneleven2_2

実際に泊ってみましたが、快適に過ごせました。

以下のようなことをあらかじめ知っておくとよいと思います。

深夜も照明は消えませんので、アイマスクを持参しましょう。
午前3時くらいに深夜バスが到着するため、しばらく騒がしくなります。
深夜バスに備えて耳栓までして寝坊しないようにしましょう。

今回はひとりで泊りましたが、それだとトイレに行くときなどに荷物が不用心になります。
場所取り用の荷物と、貴重品は分けて、貴重品は手放さないようにするなどの工夫をしておく必要がありそうです。

なお、LCCの利用や、成田空港に安く行く高速バスのことは、こちらで紹介しています。

3月 14, 2015 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年1月 2日 (金)

facebookが2015年に導入した「プライバシーベーシック」について

facebookが、2014年末に全利用者に対して、2015年1月1日から「弊社は利用規約とポリシーを改定し、Privacy Basics(プライバシーベーシック)を導入します。」と通知していました。
その中で、紹介されたプライバシーベーシックのトップページがこちらです。

https://www.facebook.com/about/basics
※この記事で紹介するfacebookの各ページのアドレスは、2015/1/2時点のものです。変更されている場合には、facebookページなどからたどってご確認ください。

今回の利用規約の変更について、facebookが利用者に事前に許可を得ずに、利用目的を拡大変更したとか、収集する情報の範囲を拡大したという指摘をする人がいますが、少なくとも、正確な表現ではないと思います。

上記ページから、すべてのことを参照できますが、個人的にポイントを3点まとめてみました。
(私個人の感想であり、ポイント選びには個人差がありますw)

1.利用規約の変更内容
https://www.facebook.com/about/privacy/update/

内容としては、facebookが収集する情報について詳細が書いてあり、一見すると、そんな詳細まで今後は取られちゃうの?とショックを受けるかもしれません。
しかし、これは従来は「facebookに送信するすべてのデータ」という大雑把な表現だったものを、具体的に列記したもので、従来と比べてより多く収集することになったわけではなく、これまで同様に継続して収集する内容を明記したということです。

2.全データのダウンロード機能
https://www.facebook.com/settings

上記の1を知って、収集されるのが嫌だからfacebookをやめたい。でも、これまでアップしたデータを簡単に移行できず削除されてしまうと困るので仕方ないから利用し続けるしかない。ということだと、利用者に事実上の選択肢がありません。しかし、これまでfacebookにアップロードしたデータを一括してダウンロードする機能に、今回わかりやすくアクセスできるようになりました。
ウェブブラウザ版facebook(ウェブブラウザでhttps://www.facebook.com/にアクセスすること)の画面右上の▼アイコンをクリックして、設定/一般を開くと画面最下部に「Facebookデータをダウンロード」があって、これを使って全データのダウンロードができます。
利用者は、これまでアップロードしたデータを人質に取られて、利用を事実上解約できないということについて配慮されています。

3.特定の広告が表示される理由の確認機能
https://www.facebook.com/about/basics/what-you-see/ads/

上記の1の利用規約の中で、facebookは情報収集の目的のうち利用者の便益として、利用者個人ごとに最適で有益な広告を表示するためだとしています。
各広告について、それをfacebookがなぜ選んだのかという理由を利用者本人が確認できるようになりました。また、その種の広告表示を本人が望まなければ今後表示されないようにすることができます。それでもマス広告として表示される広告のうち特定企業の広告表示を止めたい場合は、個別に非表示にすることもできます。

以上の1から3は、今回の変更に関係して個人的に気になったことだけ抜粋しましたが、プライバシーベーシックについては、一通り全部見てもそんなに時間はかからないので、一度見るとよいと思います。
これら1から3については、以下の観点で、よい改善だと思います。
1は、個人情報という抽象的な示し方ではなく、個人情報のどういう項目のデータを取得し利用しているかを具体的に示すことで、利用者が何について同意するかの判断材料を提供しています。
2は、保存しているデータを利用者が簡易にダウンロードできることで、利用解約時の不利益を軽減して、利用者が不同意を選択する機会を提供しています。
3は、データの利用がどのように反映されたかについて確認できるようにすることで、利用者が趣向を選択できるようにしてます。

利用規約の内容は、従来と比べて何かが変更されたというよりも、内容が具体的になったのが主です。
これまでも気にしてない人は読み返さなくても、従来との違いという点での不利益はないものと思います。
規約内容について興味ある人にとっては、これまでページが分散されていて全体像を知るのが面倒でしたが、1つのページに集約されて確認しやすくなったと思います。ただし、その結果として1ページ内で長文になっています。わかりやすくなったかというと、難易度はこれまでと変わらず、一般の人にとっては難解なままですが、1ページだけ参照すればよくなったという点で確認しやすくなりました。

ここでは、今回の変更点についてだけポイントを示しました。
しかし、facebookを利用していて投稿やアップロードしたデータの公開範囲について、設定内容を今までにちゃんと確認したことがない人は、以下の手順で一度ちゃんと確認するとよいと思います。
ウェブブラウザ版facebookで画面右上の鍵アイコンをクリックして「共有範囲を確認」から「1.投稿、2.アプリ、3.プロフィール」を画面指示に従って、順番に確認する。
特にアプリのところでは、表示されるアプリを一つずつ全部みるために、ちゃんとスクロールして、各アプリの提供会社にどういう情報の提供を自分が許可しているかを確認しましょう。これはfacebook利用中にアプリをクリックしたときに画面表示されて自分で事前に許可した内容です。アプリにアクセスするときには、内容をよく見ないでクリックしているかもしれませんが、改めて確認するとよいと思います。
なお、スマフォなどのアプリ版facebookでも設定のプライバシーとアプリの設定から同様のことができますが、操作がわかりにくいので、ウェブブラウザ版facebookから設定する方が、ミスがなくてよいと思います。

1月 2, 2015 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月11日 (土)

少子化対策は手段であって、解決に必要なのはビジョンである

内閣府が少子化対策のひとつとして、女性手帳というのを提案して物議をよんでいる。

否定するほど悪いアイデアではないと思うが、それがあまりに部分的なことであり、全体が示されていないために、それ以外のことは何もしないつもりか?という風当たりになっているように思う。
恐らく、立案した関係者は、それだけで考えているわけではなく、まずはすぐにできることからを公表したのではないかと思うが、この「まずはできることから」が実は問題であるとも思う。

全体を考えた上で、まずは実施できることから実施する。というのはよいが、全体の考えがまだ固まっていない段階で、実施できることから実施するというのは、裏目に出ることもある。

以下の記事は、約1年前に、消費税増税のときに書いたものだが、その内容が、この少子化対策の件にそのまま当てはまるようなので、再掲してみる。

ここからは、ビジョンの重要性~「孫と元気に遊べる社会」を例題に考えるの再掲です。

最近、日本の政策に足りないのはビジョンだと思う。
手段みたいなことばっかりになってる。
これはマスコミも悪い。
ビジョンを出しても、それの実現方法をすぐに政治家に求めようとする。
ビジョンが選択され共感が得られれば、方策は行政が考えることになるし、ビジョンの実現のために国民も理解・協力しなければならない。

政治家は、マニュフェストとか綱領とか言ったりするが、文書の表題はどうでもよい。
その中身が、ビジョンになっているか否かを見極める能力が国民に問われている。

ビジョンとは何か?
普段、カタカナ言葉を使うのはよくないと思っているが、今回は、あえて、このままにしておく(笑)

そんなビジョンの重要性について、ビジョンの例を挙げながら考えてみたい。

国民はまずビジョンに共感できるかどうかの選別が、まずあるべき。
そして、それがまったく実現不可能なようなことなのかを、ある程度は確認すべき。
実現不可能なビジョンは、妄想に過ぎないのは確か。

でも、ビジョンに相当するようなことが実現可能かどうかは、やってみないと実はわからないことも有り得る。

逆に実現方法がすぐに検証できるような内容は、短期先のことでしかなくなる。
その結果、中長期、長期のビジョンが欠乏することになって、短期的なビジョンしか示されない。とすると悪いスパイラルに陥っていることになる。

ビジョンをカタカナ言葉のままにしているので、それが漠然としたままだ。
そこで、ビジョンの例を考えて、少しビジョンとはどういうことかを考えてみる。

たとえば、
「孫と元気に遊べる社会」
ということにしてみよう。

これは一見、ほのぼのとした抽象的な字句だが、実はそうでもない。
もしかしたら、辛らつですらあるかもしれない。

これの意味は・・・3点ある。

1.孫がいること。
このビジョンの社会では、子供がいて、その子供にも子供がいる必要がある。
とにかく重要なことは少子化対策だ。

2.元気でいること。
孫がいる年齢になっても、疾病への予防を心がけた生活をして健康でいる必要がある。

3.遊べること。
子の親が、自分の子と、自分の親を養う連鎖を築くことで、自分が働けない年代になったら、わが子に養ってもらう必要がある。

実現手段としては、
・医療保険での予防をより重要視し、
そして、
・年金制度を縮小する
・終末医療保険制度を縮小する
というのを、ここでは例としてちょっと考えてみたい。

今の社会保障制度を縮小するとだけ書くと、ネガティブな表現になってしまうが、
ビジョンとしては、
「孫と元気に遊べる社会」を作る。
と書いてみると、なんとなく明るいようにも見えるし、実際にも明るい社会だ。

このビジョンから導き出した実現手段を順に説明してみる。

医療保険での予防をより重要視することとは、たとえば、
定期健康診断を受けている人とそれをサボっている人に、その後の社会保障費使用の差があれば、たとえば、定期健康診断を受けているかで本人自己負担率を変えることなども考えられる。
この辺りは専門家ではないので、定期健康診断の受診が役立つのかわからない、何が具体的に有効かわからないが、何らかの予防を重要視するように仕向けるための仕掛け作りを重視することが重要だ。
こちらについては個人を( 必ずしも特定ではなく)同定することができるID管理は必要だ。
つまり、定期健康診断など何らかの事象と、その人が使用した社会保障費の相関を分析できるようになることが必要だ。

年金について。
もうじき、収入より支出が増えて備蓄がなくなり破綻すると言われているが・・・
そんな静的な話しではない。
払った分が戻らないことが確定してしまっている現状で破綻している。
現状で既に、1960年生まれで、80歳まで生きれば、元が取れる限界で、それ以降の世代は、もう元は取れない。
この状況では、今後、不払い者が増えることを抑えられなくなるのは自明。
年金を払わない人への不利益は、「払わないと年金もらえないよ」ということしかないのに、正しく払っても戻ってこないのだから、払わない人を止められない。
不払い者が増え始めると、備蓄が減る速度が加速し、ますます元が取れないことになり、いっきに誰も払わなくなっても、まったく不思議ではない。

それなら、これを抜本的に見直すこと(そうするかは別として)の検討を始めた方がよい。
いまもらっている人を減額しつつ、これからもらう人も減額して、比較的中長期のたとえば20年くらいかけて縮小することは検討の選択肢としてあってよい。
そのような縮小は、現在、年金だけを頼りに生活している方々に配慮した、長期間での撤廃とすることが必要となる。逆に言うと、そのくらいの期間でどう移行するかの検討をしないと、抜本的なことは変えられないという制約の中での議論しかできず、自ずと何も変えられない、変えないということにしかならない。

そして、終末医療にかかる保険手当てについて。
終末医療とは、回復せずに最後に死ぬまでの最後の医療のこと。
これが所得に関係なく皆保険(かいほけん)で最後まで賄われる国は日本くらいしかない。
逆に言うと、他国では、ある上限に達すると打ち切られる。
つまり、自費で払えない人は、医療を受けられない。つまり、死期は早まるということ。
延命措置を受けるためにお金を払える人は長生きできて、お金がないと受けれない。ということになる。

これは一見、惨いように思える。
だけど、これは、あくまで終末医療のこと。それは、もう回復することはない状態ということ。死を待つだけで回復はない。それが、終末医療。

この終末医療、本当に本人にとって幸せなことなのかは疑問視されている面もある。
尊厳死とか消極的安楽死とか言われたりもする。
そんな終末医療に、日本は、他国より多くの費用がかかっている。
このことも、社会保障費用の支出を増やす一つの要因になっている。

これは病気になったら死ね。と言っているのではない。
現状のように、病気になったら医療や介護を受ければよいと甘んじる前に、まずは病気にならないようにする予防にも自らのお金をかけることを最重要視するように、仕向けていくということだ。
保険会社が、そのことに多額の広報宣伝費をかけていることからも、予防にお金をかける方が経済原理としても合理的であると考えられる。

こちらも、するならば数年などの短期ではなく十分な期間をかけて縮小などしていく算段が必要。
ただ、こちらは予防にシフトできれば、むしろ支出は自然と減るのかもしれない。

では、歳を取ったらどうすればよいのか?

答えは単純で、自分の子供に面倒を見てもらうことを前提にすることだ。
子供がいなければ、面倒をみてもらえない。

この状態を数十年かけて築き上げると、少子化対策に直結する。

まず、子供を作ることは老後のために必要なことになる。
養育費は、まさに年金の掛け金代わりだ。
現状のモデルでは、若年が老年を養うということにしかならない。その点は、こちらも同じだが、それが一般論ではないことがポイントだ。
若年が老年を養うのではなく、子が自分の親を養うということに代わる。
前者より後者の方が、動機付けには有効なはずだ。
そもそも、その子は、親に養ってもらって大人になるのだから。

親は自分の親を養いながら、自分の子も養う。
親が養い損のようにも思えるが、自分が養った子が成長したら、そこで初めて、養ってもらえることになる。
その連鎖が続いていく。
だからビジョンは、「『子供』と元気に遊べる社会」ではなく「『孫』と元気に遊べる社会」とする必要がある。
そこには年金記録も年金機構も必要ないかもしれない。
子供を立派に育てたことが、将来自分が養ってもらえることの証になる。

そう。
日本に今もっとも必要なことは、少子化対策であり、それを優先するために、すべての政策が少子化対策に貢献するという全体像になることを、この例では示唆している。

そのような全体像なくしては、小手先の消費税増税とかをしても、焼け石に水だ。

(先日、知人から飲み屋で聞いたところによると)
いま、独身女性の不倫は少なくないという。
フランスが少子化対策のひとつとして、婚姻制度をやめて成功しているように、日本も、少子化対策のためなら、これまでの常識を否定してもよい。というか、そのぐらいしないと、現在の年齢別人口逆ピラミッド構成は、絶対に正常化しない。
婚姻関係が他の制度上必要なら、一夫多妻制でもよい。それでは女性が納得しないというなら、この際、多夫多妻制でまずは理解を得ることを優先して、なんでもよい。
不倫女性で子供が欲しくない人は、それは仕方ない。でも、生めるし、生みたいけれど、不倫だから生まないということであれば、その障害になっていること。生まれた子供が社会的に差別されたり不利益になるということが障害であれば、その障害を徹底的に排除して、とにかく出生率をあげるためにできることは、なんでもやる覚悟が必要だ。

さらに、単なる少子化対策で出生率があがればよいのか?
そうではない。
育て方も、親を養う努力をしようとする大人になってもらうことが、親の責任になる。打算的に言えば、親はそうしないと、子に養ってもらえなくなるから、そうするしかない。
本来は、国のこと、社会のことを考えてくれる大人になってもらう必要があるわけだが、
恐らく、親を養うことを当然と思う大人になってくれれば、その延長線上に、社会や国のことは考えてくれるに違いない。

ただ、これは全世帯が子供を生むことを強いるものではない。
そもそもそれができるのであれば、現在の制度は破綻しなかった。
子供を生むかどうかの選択肢は、それぞれにあってもよいと思う。
ただし、子供を生まない選択をした場合には、自身の老後は、健康で暮らすことになるべく努め、又は病気に備えた財蓄は自身で計画的にする必要があることになる。
その前提のなかで、子供を生むかどうかを選択することはあってよいと思う。むしろ、あるべきだ。

突き詰めれば、少子化はなぜ問題なのか。
個々人において、自ら子供を作らないと判断して、血筋を絶つと決めたなら、それは仕方のないこと。
他人がとやかく言うことですらないかもしれない。
しかし、社会保障制度が破たんするというのが、社会問題ということになる。
これは端的に言えば、子供を作らない人の老後を、他人の子供が面倒みるモデルの限界と言える。
老後の自分の面倒を、自分で備えるというモデルにすれば、その「備え」の手段として、「子供を作らず、預金を貯めて、他人の世話にならない」のか「子供を養って、その子供の世話になる」のかなどから選択するという中で、子供を作らないという選択の位置づけが決まる。
それでも、なお、本人の想定外のことに、ある程度社会が保障する制度は残ってもよい。というか残さないと社会とは言えなくなるかもしれない。しかし、そのように限られた社会保障制度であれば、あまり大きな負担とはならないはずだ。

もっと書きたいことがあるが、長文になったので、戻ると・・・

ビジョンの例としてあげた 「孫と元気に遊べる社会」は、老年向けのビジョンということになるかもしれない。
ただし、これだけだと若年向けのメッセージがないので、それも同じような方法で掲げてみたいものだ。

しかし、ここで述べたかったことは、この例示したビジョン「孫と元気に遊べる社会」を提唱することではない。
ビジョンの実現方法として書き出した方策も、それを提唱しているわけではない。

上記の具体策の例は、あえて極端な例をあげた。内容の是非を問われれば異論もあるだろう。
しかし、ここではその具体策を提案しているわけではない。(そもそも、それの専門知識はぼくにはない)
どういうアプローチで、それらの具体策を導き出すのかという流れの例として出してみた。

そのような順番で物事を考える必要があるのではないかということ。が、言いたかったことである。

「ビジョンが重要」ということ、「国民が選択すべきはビジョン」であるということが大切だと思う。
政治家が示す、「文言や選択肢がビジョンになっているのか?手段でしかないということはないのか?」を見極めるために、ビジョンに関心を持つということ。を述べたかったのである。

数十年後という長期のビジョンがなければ、その数十年後には、数十年かけないと解決できない課題が累積することになる。
数十年かかる改善は、今日始めれば、気の遠くなるような話しだが、数十年後に解決できる可能性がある。
しかし、始めなければ、百年たっても解決しないことは明白だ。

長期のビジョンを共有して、長期の課題に取り組むことが、今、求められているのではないかと思う。

5月 11, 2013 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月11日 (木)

トレードオフという表現より割り切りがわかりやすい

ネットの記事「アメリカ海軍は固体レーザー砲を2014年に配備する」によると、レーザー砲の実戦配備とはすごいな。

これまでの自由電子レーザでの計画をいったん区切って、固体レーザでできる範囲のことをまずはするという割り切りが特徴的。
軍需に限らず、アメリカはこの割り切りが強みだなと思う。日本はついつい完璧をめざしてしまい、次善策を下に見るので、結果的に機会を失う。
トレードオフが大切とよく語られるが、日本語にしたら、ようは割り切りのことなんだよな。
直観的にわかるように、トレードオフと言わずに、割り切りと言った方が背中を押せる気がする。

この固体レーザー砲配備で想像できることは、これでレーザー砲の低価格化が進み、それを小型化したものが開発されればレーザーライフルとして警察なども導入できるようになりそう。
人質立てこもりとかなら、レーザー照準して、すぐにレーザーライフルに切り替えれば、誤射なく犯人を射撃できる(はず)。そうなれば、犯人を射殺せずに、正確に手首だけを撃ち抜くとかできそうだ。
軍需用途では欠点とされる固体レーザーの特徴も、そのような場面では、あまり問題なさそうだし、よい気がする。
ただ、そうなってくると、悪い人も使えるようになるので、その点をどう「割り切る」かが新たな問題だろうか。

4月 11, 2013 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月23日 (木)

社会に必要なのは想像力~いじめは想像力の欠如による

はるかぜちゃんこと、春名風花さんが朝日新聞の連載に投稿をしている。

特集連載:いじめと君」の最終回の「記事:《いじめている君へ》君、想像したことある?」がそれだ。

この中で、はるかぜちゃんは、いじめっ子には、いじめをしている自覚はないと、暗に大人たちが「いじめ」そのものを何とかしようという対策をしていることに苦言を呈した上で、「いじめは、いじめる子に想像力を持ってもらうことでしか止まらない。 」としている。


この着眼点が秀逸だ。
はるかぜちゃんって何者と思ったら、こちら:「はるかぜちゃん(10歳)のつぶやき

そんな中、いじめでわが子を失った父親の記事があった。
日本経済新聞:自殺生徒の父「暴力、何も解決できず」 大津教育長襲撃で
(原文はこちら:「大学生による大津市教育長襲撃事件」について

その中で、父親は、学校関係者を殴りたい衝動に駆られたが、「息子は喜ぶのだろうか」を考えて思いとどまった。としている。

こちらも、まさに想像力によるところだ。

いじめは想像力の欠如によるという彼女の指摘は端的な表現で的を得ていると思う。
いじめっ子になるかならないかを、家庭環境や価値観などで量ろうとすることに異論を唱えられたことになる。
さらに、いじめのきっかけとなる原因の有無について考え、どちらかに非があるのかないのかという論点も無意味だという意見でもある。
いじめという行為を実行してしまうか、しまわないかは、想像力のある子か、ない子か。だという仮説は、すばらしい。

また、想像力の有無が未然防止になることに加え、それは再発防止としても重要であることを意味している。
いじめがあったときに、いじめっ子に本人の想像力に訴えかけるということが、事後対応として重要なことになる。
これについては、森口朗公式ブログ:この「いじめ対策」はすごい!で長野県の中学校の先生が実践しているという手法が紹介されている。
その中で、「いじめっ子が泣くまで反省させる」という手法が紹介されており、コメントで賛否両論ある。
この表現をさらっとだけ読んで論じるのはよくない。これについては、上記のブログのコメントまでも、よく読むことで初めて趣旨が理解できることだが、「泣かす」ことと「泣くこと」を区別した表現である。
しかし、そこでのコメントの意見交換に、「想像力に訴えかける」という表現は出てこないが、実はそれを目的と位置付ければ、その手段としてのひとつの手法だと捉えれば、状況に応じた選択肢のひとつとして考えられることだろうと思う。

想像力は、いじめっ子になりうる子供たちだけに必要なことではない。
学校であれば教師にも、それを監督する教育委員会などの関係者にも。
そして、いじめっ子の家族にも、いじめられた子の家族にも。

想像力を養うような環境が減ることが、深刻な、いじめを生み出すのだとしたら、想像力を養うような改善は、いじめ対策以外にも役立つはずだ。

なぜなら、想像力は大人になって働くことになってからも重要なことだからだ。
想像力は産業力の強化にも必要な要素だろう。

多くの人が、さまざまなことに想像力を働かせて向き合っていく社会。それでも、うっかりと想像力を欠いてしまった場面では、互いが互いに想像力に訴えかけてそれを補っていくように促す社会というのは、希望に満ち溢れた明るい未来のひとつの条件だと思った。

以前、ビジョンの重要性~「孫と元気に遊べる社会」を例題に考えるを書いたが、これに、「想像力を活かす社会」を加えたいと思う。

8月 23, 2012 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年8月20日 (月)

「英語ができないと世界に出ていけない」への警鐘

新聞に以下のような記事があった。

120満点のTOEFLの2011年平均点、日本69点、インド92点、韓国と香港82点、中国と台湾77点。海外大学の留学生条件は80点以上が多い。早稲田大学の協定留学生枠はTOEFL得点不足で一部余る状況。
(出典 読売新聞2012年8月20日朝刊の世界で学ぶシリーズ第4回:交換留学 余る「枠」 から抜粋)

気になるのは平均点よりも標準偏差。
上下格差が広がり始めると、英語力が他の能力より特段優れているかの誤解を、得点上位者がすることも警戒すべきな気がしています。
逆に得点下位者が委縮することも同じく、避けなければいけない。

スポーツはわかりやすい。
スポーツが優秀なことがまず先。それに英語も必要になってくる。しかし、どうしても英語が苦手なら通訳を雇う選択肢はある。しかし、英語がいくらできても、本業のスポーツの成績が悪ければ、英語力に何の意味もない。

これは産業界でも同じはずなのに、見落とされやすい。
英語の特に会話力の経済価値は、せいぜい年額100~250万円程度ではないかと思うことがあります。
仕事で英会話を使う頻度によりますが、それを毎回通訳を雇う対価程度に見る視点も必要。
最大額は通訳の年収を上回ることは本来ないはず。

このことは特に仕事の個人業績評価のときに忘れてはならないこと。
先のスポーツ選手のことを思い浮かべれば当然のことなのに、英会話のできる人が少なくなってしまうと、英会話能力を過大評価してしまう危険がある。

そんな人材育成をしていったら、国力は弱まるはず。
英会話が堪能だけど試合に弱いスポーツ選手が増えるようなもの。そんなことでは、結果的に国際競争に勝てない。
まずは、スポーツができるようにすること。産業力を高めることが先。
そして、ある意味、金で買える英語力も精進してもらう。それをしないと、自分がストイックに本業でがんばっているのに、その年収から数百万円が通訳費用で削られれば、それを避けるために、自分の語学力を高める動機が生まれるなら、それはそれでよいのかもしれません。

「英語ができないと世界に出ていけない」という表現には、そんな潜在的危険性があると思っています。

8月 20, 2012 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年1月30日 (月)

ビジョンの重要性~「孫と元気に遊べる社会」を例題に考える

最近、日本の政策に足りないのはビジョンだと思う。
手段みたいなことばっかりになってる。
これはマスコミも悪い。
ビジョンを出しても、それの実現方法をすぐに政治家に求めようとする。
ビジョンが選択され共感が得られれば、方策は行政が考えることになるし、ビジョンの実現のために国民も理解・協力しなければならない。

政治家は、マニュフェストとか綱領とか言ったりするが、文書の表題はどうでもよい。
その中身が、ビジョンになっているか否かを見極める能力が国民に問われている。

ビジョンとは何か?
普段、カタカナ言葉を使うのはよくないと思っているが、今回は、あえて、このままにしておく(笑)

そんなビジョンの重要性について、ビジョンの例を挙げながら考えてみたい。

国民はまずビジョンに共感できるかどうかの選別が、まずあるべき。
そして、それがまったく実現不可能なようなことなのかを、ある程度は確認すべき。
実現不可能なビジョンは、妄想に過ぎないのは確か。

でも、ビジョンに相当するようなことが実現可能かどうかは、やってみないと実はわからないことも有り得る。

逆に実現方法がすぐに検証できるような内容は、短期先のことでしかなくなる。
その結果、中長期、長期のビジョンが欠乏することになって、短期的なビジョンしか示されない。とすると悪いスパイラルに陥っていることになる。

ビジョンをカタカナ言葉のままにしているので、それが漠然としたままだ。
そこで、ビジョンの例を考えて、少しビジョンとはどういうことかを考えてみる。

たとえば、
「孫と元気に遊べる社会」
ということにしてみよう。

これは一見、ほのぼのとした抽象的な字句だが、実はそうでもない。
もしかしたら、辛らつですらあるかもしれない。

これの意味は・・・3点ある。

1.孫がいること。
このビジョンの社会では、子供がいて、その子供にも子供がいる必要がある。
とにかく重要なことは少子化対策だ。

2.元気でいること。
孫がいる年齢になっても、疾病への予防を心がけた生活をして健康でいる必要がある。

3.遊べること。
子の親が、自分の子と、自分の親を養う連鎖を築くことで、自分が働けない年代になったら、わが子に養ってもらう必要がある。

実現手段としては、
・医療保険での予防をより重要視し、
そして、
・年金制度を縮小する
・終末医療保険制度を縮小する
というのを、ここでは例としてちょっと考えてみたい。

今の社会保障制度を縮小するとだけ書くと、ネガティブな表現になってしまうが、
ビジョンとしては、
「孫と元気に遊べる社会」を作る。
と書いてみると、なんとなく明るいようにも見えるし、実際にも明るい社会だ。

このビジョンから導き出した実現手段を順に説明してみる。

医療保険での予防をより重要視することとは、たとえば、
定期健康診断を受けている人とそれをサボっている人に、その後の社会保障費使用の差があれば、たとえば、定期健康診断を受けているかで本人自己負担率を変えることなども考えられる。
この辺りは専門家ではないので、定期健康診断の受診が役立つのかわからない、何が具体的に有効かわからないが、何らかの予防を重要視するように仕向けるための仕掛け作りを重視することが重要だ。
こちらについては個人を( 必ずしも特定ではなく)同定することができるID管理は必要だ。
つまり、定期健康診断など何らかの事象と、その人が使用した社会保障費の相関を分析できるようになることが必要だ。

年金について。
もうじき、収入より支出が増えて備蓄がなくなり破綻すると言われているが・・・
そんな静的な話しではない。
払った分が戻らないことが確定してしまっている現状で破綻している。
現状で既に、1960年生まれで、80歳まで生きれば、元が取れる限界で、それ以降の世代は、もう元は取れない。
この状況では、今後、不払い者が増えることを抑えられなくなるのは自明。
年金を払わない人への不利益は、「払わないと年金もらえないよ」ということしかないのに、正しく払っても戻ってこないのだから、払わない人を止められない。
不払い者が増え始めると、備蓄が減る速度が加速し、ますます元が取れないことになり、いっきに誰も払わなくなっても、まったく不思議ではない。

それなら、これを抜本的に見直すこと(そうするかは別として)の検討を始めた方がよい。
いまもらっている人を減額しつつ、これからもらう人も減額して、比較的中長期のたとえば20年くらいかけて縮小することは検討の選択肢としてあってよい。
そのような縮小は、現在、年金だけを頼りに生活している方々に配慮した、長期間での撤廃とすることが必要となる。逆に言うと、そのくらいの期間でどう移行するかの検討をしないと、抜本的なことは変えられないという制約の中での議論しかできず、自ずと何も変えられない、変えないということにしかならない。

そして、終末医療にかかる保険手当てについて。
終末医療とは、回復せずに最後に死ぬまでの最後の医療のこと。
これが所得に関係なく皆保険(かいほけん)で最後まで賄われる国は日本くらいしかない。
逆に言うと、他国では、ある上限に達すると打ち切られる。
つまり、自費で払えない人は、医療を受けられない。つまり、死期は早まるということ。
延命措置を受けるためにお金を払える人は長生きできて、お金がないと受けれない。ということになる。

これは一見、惨いように思える。
だけど、これは、あくまで終末医療のこと。それは、もう回復することはない状態ということ。死を待つだけで回復はない。それが、終末医療。

この終末医療、本当に本人にとって幸せなことなのかは疑問視されている面もある。
尊厳死とか消極的安楽死とか言われたりもする。
そんな終末医療に、日本は、他国より多くの費用がかかっている。
このことも、社会保障費用の支出を増やす一つの要因になっている。

これは病気になったら死ね。と言っているのではない。
現状のように、病気になったら医療や介護を受ければよいと甘んじる前に、まずは病気にならないようにする予防にも自らのお金をかけることを最重要視するように、仕向けていくということだ。
保険会社が、そのことに多額の広報宣伝費をかけていることからも、予防にお金をかける方が経済原理としても合理的であると考えられる。

こちらも、するならば数年などの短期ではなく十分な期間をかけて縮小などしていく算段が必要。
ただ、こちらは予防にシフトできれば、むしろ支出は自然と減るのかもしれない。

では、歳を取ったらどうすればよいのか?

答えは単純で、自分の子供に面倒を見てもらうことを前提にすることだ。
子供がいなければ、面倒をみてもらえない。

この状態を数十年かけて築き上げると、少子化対策に直結する。

まず、子供を作ることは老後のために必要なことになる。
養育費は、まさに年金の掛け金代わりだ。
現状のモデルでは、若年が老年を養うということにしかならない。その点は、こちらも同じだが、それが一般論ではないことがポイントだ。
若年が老年を養うのではなく、子が自分の親を養うということに代わる。
前者より後者の方が、動機付けには有効なはずだ。
そもそも、その子は、親に養ってもらって大人になるのだから。

親は自分の親を養いながら、自分の子も養う。
親が養い損のようにも思えるが、自分が養った子が成長したら、そこで初めて、養ってもらえることになる。
その連鎖が続いていく。
だからビジョンは、「『子供』と元気に遊べる社会」ではなく「『孫』と元気に遊べる社会」とする必要がある。
そこには年金記録も年金機構も必要ないかもしれない。
子供を立派に育てたことが、将来自分が養ってもらえることの証になる。

そう。
日本に今もっとも必要なことは、少子化対策であり、それを優先するために、すべての政策が少子化対策に貢献するという全体像になることを、この例では示唆している。

そのような全体像なくしては、小手先の消費税増税とかをしても、焼け石に水だ。

(先日、知人から飲み屋で聞いたところによると)
いま、独身女性の不倫は少なくないという。
フランスが少子化対策のひとつとして、婚姻制度をやめて成功しているように、日本も、少子化対策のためなら、これまでの常識を否定してもよい。というか、そのぐらいしないと、現在の年齢別人口逆ピラミッド構成は、絶対に正常化しない。
婚姻関係が他の制度上必要なら、一夫多妻制でもよい。それでは女性が納得しないというなら、この際、多夫多妻制でまずは理解を得ることを優先して、なんでもよい。
不倫女性で子供が欲しくない人は、それは仕方ない。でも、生めるし、生みたいけれど、不倫だから生まないということであれば、その障害になっていること。生まれた子供が社会的に差別されたり不利益になるということが障害であれば、その障害を徹底的に排除して、とにかく出生率をあげるためにできることは、なんでもやる覚悟が必要だ。

さらに、単なる少子化対策で出生率があがればよいのか?
そうではない。
育て方も、親を養う努力をしようとする大人になってもらうことが、親の責任になる。打算的に言えば、親はそうしないと、子に養ってもらえなくなるから、そうするしかない。
本来は、国のこと、社会のことを考えてくれる大人になってもらう必要があるわけだが、
恐らく、親を養うことを当然と思う大人になってくれれば、その延長線上に、社会や国のことは考えてくれるに違いない。

ただ、これは全世帯が子供を生むことを強いるものではない。
そもそもそれができるのであれば、現在の制度は破綻しなかった。
子供を生むかどうかの選択肢は、それぞれにあってもよいと思う。
ただし、子供を生まない選択をした場合には、自身の老後は、健康で暮らすことになるべく努め、又は病気に備えた財蓄は自身で計画的にする必要があることになる。
その前提のなかで、子供を生むかどうかを選択することはあってよいと思う。むしろ、あるべきだ。

突き詰めれば、少子化はなぜ問題なのか。
個々人において、自ら子供を作らないと判断して、血筋を絶つと決めたなら、それは仕方のないこと。
他人がとやかく言うことですらないかもしれない。
しかし、社会保障制度が破たんするというのが、社会問題ということになる。
これは端的に言えば、子供を作らない人の老後を、他人の子供が面倒みるモデルの限界と言える。
老後の自分の面倒を、自分で備えるというモデルにすれば、その「備え」の手段として、「子供を作らず、預金を貯めて、他人の世話にならない」のか「子供を養って、その子供の世話になる」のかなどから選択するという中で、子供を作らないという選択の位置づけが決まる。
それでも、なお、本人の想定外のことに、ある程度社会が保障する制度は残ってもよい。というか残さないと社会とは言えなくなるかもしれない。しかし、そのように限られた社会保障制度であれば、あまり大きな負担とはならないはずだ。

もっと書きたいことがあるが、長文になったので、戻ると・・・

ビジョンの例としてあげた 「孫と元気に遊べる社会」は、老年向けのビジョンということになるかもしれない。
ただし、これだけだと若年向けのメッセージがないので、それも同じような方法で掲げてみたいものだ。

しかし、ここで述べたかったことは、この例示したビジョン「孫と元気に遊べる社会」を提唱することではない。
ビジョンの実現方法として書き出した方策も、それを提唱しているわけではない。

上記の具体策の例は、あえて極端な例をあげた。内容の是非を問われれば異論もあるだろう。
しかし、ここではその具体策を提案しているわけではない。(そもそも、それの専門知識はぼくにはない)
どういうアプローチで、それらの具体策を導き出すのかという流れの例として出してみた。

そのような順番で物事を考える必要があるのではないかということ。が、言いたかったことである。

「ビジョンが重要」ということ、「国民が選択すべきはビジョン」であるということが大切だと思う。
政治家が示す、「文言や選択肢がビジョンになっているのか?手段でしかないということはないのか?」を見極めるために、ビジョンに関心を持つということ。を述べたかったのである。

数十年後という長期のビジョンがなければ、その数十年後には、数十年かけないと解決できない課題が累積することになる。
数十年かかる改善は、今日始めれば、気の遠くなるような話しだが、数十年後に解決できる可能性がある。
しかし、始めなければ、百年たっても解決しないことは明白だ。

長期のビジョンを共有して、長期の課題に取り組むことが、今、求められているのではないかと思う。

1月 30, 2012 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年6月12日 (日)

役人が役所言葉で書く、有識者から政府への提言書の違和感

先日傍聴した政府の有識者会合で感じた違和感を、iPadからココログを書く練習として書いてみることにする。

以下のようなやりとりがあった。後述するように、やりとりの流れを見てもらうのが主なので、内容は概略にしてある。この会合個別に意見があるものではない。

構成員「前回案では『権限』と書いてあったところが『役割』を持たすとなっているが権限のような強いものが必要なので、権限に戻せないのか。」
事務局「役所では『権限』というと法的権限を連想することがあるため、それに限らないものがよいという省意見を受けて変えました。そこで広い意味の『役割』にしました」
構成員「法的権限までが必要ないものかどうかの議論はまだされておらず、それを与える可能性もあるので、やはり『権限』という強い言葉がよいと思うがダメなのか」
事務局「これは有識者提言なので、それが必要ということならば、そのようにまとめていただくことはできます」
構成員:(言及せずに沈黙)
主査「最終的な文章については主査と事務局に一任いただきたく」

その他に次のようなやりとりもあった。

構成員「『総合調整』という表現があるが『○○権』のような明確な書き方をできないのか。調整では弱い。」
事務局「役所では『総合調整』という言葉は十分に強い表現として使われているものです。たとえば、総理大臣は各大臣に対して総合調整をする。というようにも使われる言葉ですので、弱いということにはなりません。」
構成員「『○○権』とは書けないものなのか」
事務局「これは有識者提言なので、それが必要ということならば、そのようにまとめていただくことはできます」
構成員:(言及せずに沈黙)
主査「最終的な文章については主査と事務局に一任いただきたく」

主査からは、役所にとって受け入れられやすいように、役所が使う言葉を選ぶという考え方もあるというようなことが言われた。
これらについて、主査がどういう意図で、修正文案をこの場ですぐに議論せずに預かったのかは、この後、どのような提言文書が出てくるのか次第である。

しかし、それがどうなったとしても、
このやりとりそのものに覚えた違和感を喩え話しで説明する。

たとえば、佐藤から鈴木さんへの提言というのがあったとする。
佐藤は提言案というのを書いてみて、それを鈴木さんに見せて内容について、意見をもらうことにする。
意見といっても、佐藤から鈴木さんへの提言なので、内容の是非ではなく、鈴木さんが理解できる文章になっているかについてとなる。
鈴木さんが意味がよくわからないという箇所があれば、表現をわかりやすくするなどして修正をして提言を完成させる。
その意見を聞いたときに、鈴木さんが質問をして佐藤が口頭で説明をしたことで、鈴木さんが、それならば文章の趣旨はわかったので、修正をせずにこのままでもよいですよ。と言えば、修正しないで提言を完成させることもできるだろう。

上記のやりとりに違和感はあるだろうか?
ぼくにはない。これが自然な提言というものだろうと思っている。

さて、上記は、佐藤から鈴木さんへの提言の例であった。これを、佐藤を有識者に、鈴木さんを政府に置き換えると、本来は、有識者から政府への提言のとりまとめ作業になるはずではないだろうか。

ところが、事務局である役人が提言案文を執筆して、構成員である有識者がそれにコメントをして、そのコメントを受けて、事務局が文章修正をするという作業になっている。
まるで、政府が出す報告書などを有識者がレビューするときの作業のようになっている。
そもそも、佐藤と鈴木さんの喩えでは、質問して文章の趣旨を確認するのは鈴木さんが佐藤に対して行っているが、上記の有識者会議の質疑の向きは逆転しているのである。
提言者が、提言先に対して提言文章の意図を確認して、そのやりとりが議事録に記録されれば提言者として納得するという。
いったいなんなのだろうか。
なんとなくモヤモヤした感じである。


素朴な違和感を感じたので、iPadの入力の練習にブログにしてみた。
iPadのスクリーン・キーボードではブラインドタッチがまだできないので、この入力に結構時間がかかった。
とくにこういう文章を書くときにカーソルキーがないことに、まだ慣れていないので、読み直してちょっと修正するのがやっかいだった。

6月 12, 2011 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月26日 (木)

はるかぜちゃん(10歳)のつぶやき

はるかぜちゃん(@harukazechan)こと、春名風花ちゃんという子役をしている小学5年生の女の子のツイッターのつぶやき内容が、とてもしっかりした文章でネットで話題になってる。

そこで過去のつぶやきとかを、いろいろ見てみたら本当に感動したのでご紹介。

はるかぜちゃんを知らないなら、まず、これ↓とか読むと、つかみとしていいかもw
はるかぜちゃん「ぼくはソウカガッカイじゃないです(ω)」

彼女のつぶやきに上から目線の大人が意見したときの返しがすごく論理的なので感心する。


そして、これ↓
10歳子役twittererはるかぜちゃんが語る 「言葉」

最後の一文とか、すごすぎるw
それは抜粋になっているけど、全文はこちら↓
はるかぜちゃんの「きちがい」論
長文だけど、はるかぜちゃんの発言は青色文字になっているので、そこだけを読むだけで、はるかぜちゃんがどう考えたかがわかる。
普通の人は涙出るかも


もともと、東京都の青少年育成条例を批判したつぶやき「都条例ぷんすか」で有名になったらしいが、それに対して大人が取った醜い行動への反応もツイートしている
『都条例ぷんすか(ω)』のはるかぜちゃん(9)のTwitter使用に、縄張り意識をあらわにするおとなユーザ

そんな、はるかぜちゃんだが、ネットでは賞賛だけされているだけではなく、中傷を受けたこともある。
はるかぜちゃんが登校前に泣いていた件。(お母さんのツイートより)
前半は中傷した人とのやりとりだが、2011-02-16 14:36:13からを読むと、ちょっと感動する。

中傷を受けることは、はるかぜちゃんにとって、常に悩みのたねのようだ。
はるかぜちゃんと乙武さん「批判と中傷について」


という、春名風花ちゃんのリアのことはITmediaの記事になってる。
3歳でブログ、9歳でTwitter 「都条例ぷんすか(ω)」のはるかぜちゃんに聞く

はるかぜちゃんの、その他のつぶやきまとめはいっぱい掲載されていて、こんなかんじ。
Togetterを「春名風花」で検索


デジタル・ネイティブという言葉があるけど、それは、小学生の頃から、コミュニケーションだけではなく
自分の考えや意見をまとめることにもネットを使いこなせるということまで含まれるということなのだろうと改めて考えさせられた。

ただ、はるかぜちゃんはツイッターがあったので、皆によく知られるようになっただけで、はるかぜちゃんがしっかりした物事の捉え方、考え方をできることとデジタル・ネイティブとは関係なくて、そういう子にとって、デジタルツールはとても有用なものになるのだろうなと、ぼくがいまちょっと頭に浮かんだだけw

そこでちょっと心配になることがある。
はるかぜちゃんは、いま小学5年生だけど、この先の義務教育は従前からの教育課程で十分なのか?はるかぜちゃんのような物事の考え方をできる子にも対応できているのか?についてちょっと心配になる。
外国では、こういう子が飛び級制度で、早く進学するのだろうが、日本にはない。
そんな日本に失望して、海外に飛び出してしまわないかと心配になる。

ただ、はるかぜちゃんは、そんな海外の飛び級をしたがる子供ともちょっと違うようにも見える。

彼女からは、「仕事は大人の世界でちゃんとするようにするけれど、だからといって学校まで早く進級したいとは思わない。小学生のうちは、小学生にしかできないことを楽しみたい。」と言われてしまいそうな気もしている。笑

5月 26, 2011 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2011年5月 1日 (日)

国内加工基準を満たしたユッケや牛・豚・鶏のレバ刺しは存在しない

牛肉刺しであるユッケを食べて食中毒を起こす事故が報道されている。
そして、その肉が生食用ではないものを使用していたということで問題視されている。
この問題だが、もっとすごい実態がある。

馬以外の牛や豚、鶏の生食用の肉やレバは、国内にそもそも出荷実績がないのである。
焼肉店で、ユッケや牛レバ刺しは、ときどきみかけるが、国内出荷であれば、それらはすべて、生食用ではない加熱用のものを販売店の判断で生食用として提供していることについては、あまり知られていない。(輸入品や、と畜場から出荷されておらずに、加工基準を遵守して加工している可能性はないわけではないようだ)
焼肉店によっては、生食肉についての国が出した食肉処理施設基準のうち、処理作業手順の部分だけを真似て最終加工をしている店もあるようだが、その素材となる食肉が同基準に従って出荷されているという実績がないことになる。
今回の事故以後も、焼肉店が「うちは、仕入れた肉の外側をそぎ落として中心部分だけを、ユッケ用に加工しているから大丈夫」という説明が平然とTV報道されている。
このような焼肉店はまだ「まし」な方で、店によっては同基準のことをそもそも知らないことすらある可能性もある。

このことは、確認できる情報の最新が2009年度までなので、その後改善されているかも知れないが、これまでの経緯を知っておいて損はない。備えあれば憂いなしだ。

このことを最初に知ったのは、2008年3月21日の読売新聞朝刊の記事からだった。
「揺らぐ安全」という連載の第2部3号の1面記事である。

記事によれば、「O157を死滅させるのには加熱が必要で、鮮度は関係ない。牛の腸に生息する菌が肝臓に付着する危険がある。集団食中毒が相次ぎ、8人が死亡した1996年、生レバーで感染した人もいたため、国は「生食レバー」を出荷できる食肉処理施設の基準を通知した。」とあった。
2006年度、食肉処理施設である「と畜場」全国202施設ののうち、基準を満たしたのは6施設だったそうだ。
さらに国は、2007年に、牛レバーについて生食用であっても、なるべく提供しないよう通知したが、「看板メニューだ」「客が食べたがる」という反応で従わない店がほとんどだったようだ。

そして、2008年3月7日に東京で開催された討論会で、以下のやりとりがあったとのこと。

「焼肉店での生食提供に規制を設けるべき」という藤井潤構成員(九州大学准教授細菌学・当時)の発言に対して、渡辺治雄座長(国立感染症研究所副所長・当時)は、「食習慣が絡み、規制に国民的合意を得るのは難しいのではないか」と返したという。

こんなことに、国民的合意が必要なのかと記事を疑ってしまうが、このやりとりは、新聞の1面で取り上げられたにもかかわらず、その後、特に話題にはならなかったと記憶している。
結果的に、「生食提供」は規制されておらず、基準があっても無視され、実際は店の判断で提供され、食中毒が発生したときにだけ問題になり、保健所が営業停止処分などをするだけの状態が続いており、今回は、小学生が死亡するという、まさに取り返しのつかない事態にまでなってしまったわけである。

以上からすると、一応、6施設あるわけね。そうすると、高級店とか値段の高いユッケやレバ刺しなら安心なのか。
と、思ったら大間違いである。

島根県のホームページの「生食用食肉の衛生基準」というページの一部を以下に転載する。

生食用食肉の取扱状況(平成21年度実績)
(1)生食用レバーの加工基準に適合していると畜場及び出荷実績
自治体と畜場名出荷実績
新潟市新潟市食肉センターなし
福岡県県南食肉センターあり※
福岡県うきは市と畜場あり※
熊本県千興ファーム食肉センターあり※
熊本市熊本市食肉センターあり※
(注)「生食用食肉等の安全性確保について」(平成10年9月11日付け生衛発第1358号)に基づく生食用食肉の加工基準目標のうち、肝臓の処理について適合していると畜場を指す。 (※)生食用レバーの出荷実績は馬レバーのみ

(2)生食用食肉の出荷実績のあると畜場

自治体と畜場名
青森県(株)青森畜産公社津軽食肉センター
福島県会津食肉センター
郡山市(株)福島県食肉流通センター
宇都宮市(株)栃木県畜産公社
山梨県(株)山梨県食肉流通センター
長野県佐久広域食肉流通センター
長野県(株)長野県食肉公社 松本支社
高知市高知県広域食肉センター
福岡県県南食肉センター
福岡県うきは市と畜場
熊本県千興ファーム食肉センター
熊本市熊本市食肉センター
※いずれの施設も、生食用食肉の出荷実績は馬肉のみ

これを見ると、その後の2009年度には、生食用レバーの加工基準に適合していると畜場が5施設に減ったことがわかるが、さらに、※印の注釈にとても重要なことが書いてある。
(1)の生食用レバーの加工基準に適合していると畜場及び出荷実績には、
※生食用レバーの出荷実績は馬レバーのみ
(2)の生食用食肉の出荷実績のあると畜場には、
※いずれの施設も、生食用食肉の出荷実績は馬肉のみ
とある。

つまり、馬刺しと、馬レバ刺し以外の出荷実績は国内には存在しないのである。

焼肉屋で目にする、ユッケや鶏ささみ刺し、牛や豚、鶏のレバ刺しは、すべて生食用ではなく、加熱用のものを店が「新鮮だから」などの理由で勝手に、生食用に出しているのである。

このことを知ってみると、スーパーや肉屋で生食用の肉というのは、見ることが少ない。(と自分の近所のことだけで思っていたら、コメントにいただいたように、大阪では結構販売されている様子)
肉を売る際には、生食用を売る場合には、と畜場を明記することになっているらしいので、そこに嘘のと畜場名を書いてまで売るという店はないのだろう。
つまり、店に悪意はあまりなく、危険性を軽んじているか、知っていないという状態のように見受けられる。

ちなみに、ぼくは、このことを知った後も、焼肉屋でユッケやレバ刺しを食べることはある。
なので、必ずしも、生食肉の規制をすべきという立場でもないが、ただ、それらにはリスクがあることの周知はされるべきだと思っている。
知った上で、食べるのなら、本人のリスク裁量だし、仮に事故が起きれば店は食中毒を出して営業停止になるので、店もリスクを覚悟して、そのメニューを出すことになる。
一番よくないのは、店も客も、どちらも、このリスクを知らないでいることだ。
結論からすれば、この事実が広く周知されれば、リスクを取ってまでメニューに、ユッケとレバ刺しを出す店はなくなるのだろうと思う。
逆に、今後もまだ、メニューから消えなければ、周知が足りていないことを意味するのではないかと思う。

東京都福祉保健局の「ちょっと待って!お肉の生食」に生食肉についての注意のリーフレットが「保護者向け」「若年層向け」「事業者向け」が用意されているので、周知にはこれを使うのがよいようだ。
また、同じページに、以下の記述があるので、加工基準を満たした輸入品はある可能性がある。


「生食用」の牛肉、鶏肉は流通していません

厚生労働省は、「生食用食肉等の安全性確保について」の通知で、生食用食肉の衛生基準を示していますが、平成20年度にこの通知に基づいた生食用食肉の出荷実績があったのは、馬の肉・レバーだけでした。牛肉については国内と畜場から生食用としての出荷実績はなく、一部生食用として輸入されているものがありますが、その量はごく少ないものと考えられます。また、鶏肉は生食用の衛生基準がありません。したがって、牛肉、鶏肉は、生で食べると食中毒になる可能性があります。

なお、上記のいずれの情報も2009年度までの内容です。
2010年度以後の出荷実績の情報をご存知のかたは、コメントなどでお知らせいただけたら幸いです。

5月 1, 2011 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2010年3月11日 (木)

LiteRider7

以前、ちょっとご紹介した LiteRider7 ですが、いろいろ機能を整理して、Firefox Add-on の公式サイトで公開しました。

ウェブブラウザに Firefox をお使いならば、ご参考まで。。。

LiteRider7 については、以下のホームページをご覧ください。

なお、いまのところ、このアドオンは、Windows と Linux のみで、MacOS では利用できません。

お問い合わせやご要望については、この記事へのコメントで受け付けさせていただきます。

ご注意:

ブログのコメントに書き込んでいただく際に、お名前やメールアドレスを記入した場合には、
記入内容はブログに掲載され公開されますので、ご注意ください。
公開を希望しない場合には、空欄のまま匿名で書き込んでいただくことができます。

3月 11, 2010 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 7日 (土)

クラウドコンピューティングの次は・・・

クラウドコンピューティングは、バズワードでしかないので、来年いっぱい持つかどうかと言われていたりするわけですが、

クラウドコンピューティングの次は、シーコンピューティングのようです。

雲の次は、海。。。

Sea Computing という言葉は、誰かが言っているわけではないですが、

グーグル社が新たに取得した米国特許 US Patent No. 7,525,207 は、Water-based data center です。

特許出願を紹介する日本語記事はこちらにありますが、この特許が認められました。


Abstract

A system includes a floating platform-mounted computer data center comprising a plurality of computing units, a sea-based electrical generator in electrical connection with the plurality of computing units, and one or more sea-water cooling units for providing cooling to the plurality of computing units.

What is claimed is:

1. A system, comprising:
a computer data center proximate to a body of water comprising a plurality of computing units;
a sea-based electrical generator in electrical connection with the plurality of computing units;
and one or more sea-water cooling units for providing cooling to the plurality of computing units.

2. The system of claim 1, wherein the computing units are mounted in a plurality of crane-removable modules.

3. The system of claim 1, wherein the sea-based electrical generator comprises a wave-powered generator system.

4. The system of claim 3, wherein the sea-based electrical generator comprises a plurality of motion-powered machines arranged in a grid and wired together.

5. The system of claim 4, wherein the wave-powered electrical generator system comprises one or more Pelamis machines.

6. The system of claim 1, wherein the sea-based electrical generator comprises a tide-powered generator system.

7. The system of claim 1, wherein the cooling units comprise a plurality of sea-powered pumps and one or more seawater-to-freshwater heat exchangers.

8. The system of claim 1, wherein the sea-water cooling units comprise one or more water-to-water heat exchangers.

9. The system of claim 1, further comprising one or more rectifiers for producing direct current supply power from power supplied by the electrical generator.

10. The system of claim 9, wherein the rectifiers provide power directly to components in the plurality of computing units without further DC-to-AC conversion of the power.

11. The system of claim 10, further comprising a plurality of step-down transformers to convert the direct current power to a voltage usable by the components in the plurality of computing units.

12. The system of claim 1, wherein the sea-based electrical generator comprises one or more wind turbines.

13. The system of claim 12, wherein the one or more wind turbines provide pumping power for the sea-water cooling units.

14. The system of claim 1, further comprising a supplemental chiller cooling system on a platform with the data center to provide additional cooling when the one or more sea-water cooling units is insufficient.

15. The system of claim 1, wherein the computer data center comprises a floating-platform mounted data center.

16. A method of maintaining a computer data center, comprising: generating electrical power using the wave, tidal, or current motion of water adjacent a data center; providing the generated electrical power to the data center; and circulating the water adjacent the data center through a heat exchanger to produce cooling for the data center equipment.

17. The system of claim 16, wherein the electrical power is generated by the force of a floating device against moving waves.

18. The system of claim 16, wherein the on-board or on-shore data center equipment comprises a large plurality of computer boards mounted in rack arrays.

ということで、Sea Computing と命名させていただきました。

Cloud ではクロスボーダーでの法規制問題がひとつの課題になっていますが、Sea では、公海上の問題が追加されることになりますね。

雲の次は、海のようです。

その次は月でしょうか。。。

Moon Computing


11月 7, 2009 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年8月 5日 (水)

mixi break

ちょっと、諸般の事情で、ココログにログインできなくなっていたのですが、本日無事復活しました。
ご協力いただいた方々には、感謝申し上げます。

その報告だけでも、なんなので・・・


職場で mixi を使ってリフレッシュすることを、コーヒー・ブレークのように、mixi break と言ってみてはどうでしょう・・・
そんなとき、周囲への気遣いとして、Firefox のアドオン LiteRider7 を応用できます。


ウェブブラウザに Firefox をお使いの場合には、ご自由にお使いください。

8月 5, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月29日 (水)

「何」だけでなく「なぜ」が大切

今クールから、NHKで始まった新しい番組「追跡!A to Z」は興味深い。
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/

「無届け老人ホームの闇」の回もうまくまとめていた。
(5月16日 土曜【15日深夜】に再放送あり)

テーマからすると、無届け老人ホームの違法性を取り上げるというワイドショーネタかと思われるが・・・
そうではなくて、
なぜ、そこに入居する老人が増えてしまうのか?
という原因の「追跡」だった。

この番組はこれまでいつもそうだ。
何が起きているのか?、ということは、ワイドショーにばっさり譲って、さらっと紹介するだけで、むしろ、それがなぜ起きているのか?にも着目して追跡するということらしい。

今回の「無届け老人ホームの闇」の原因は、あまりにシンプルだった。

ある地域の現在の正規老人ホームの入居待ち人数を、年間の新規入居可能人数で割ると・・・
50だそうだ。

50ということは、
正規老人ホームに入居申し込みをすると、50年待ちということだ。。。

少子化問題に取り組み始めたのは、成人の人数が減ってからというお粗末さは記憶に新しい。
そんなことは、出生人数が減った、20年前に十分予測できるのに。。。

出生人数が減ったら、20年後に成人が減るという、引き算ができない人に、需要を供給で割るという、割り算はちょっと無理だったということか。

この国は、成人式に行ったときに、老人ホームに申し込まないといけないらしい。
ということがわかった。

いや・・・待てよ。
将来老人ホームに簡単に入れないようにしておくことで、老人ホームに入らなくても済むように子供を沢山作ろうと思わせる。という高度な政策なのか。。。

いずれにしても、
こういう番組が増えると、3バカ連鎖を断ち切るのに役立つのだろう。
バカな行政、バカな報道、バカな国民では再発は防げない

「何」だけでなく「なぜ」が大切なのだから。

4月 29, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月27日 (金)

テレビウィジェットコンテスト特別賞受賞

先日アプリキャストのゲームを開発したわけですが、、、


これはアプリキャストのサイトに投稿して、ソニーの審査が終わってサイトに掲載されると、無事めでたくテレビにダウンロードして使えるようになります。

ところが・・・
掲載されてから気づいたのですが、我が家のブラビア KDL-40X5000 は、ネットからのアプリキャストのダウンロードに対応していませんでした。。。

大変凹みました。
自分が開発したゲームを自分が遊べないなんて・・・weep

嘆いていたところ・・・
アプリキャストのテレビウィジェットコンテストにて、特別賞をいただきました。happy01

A1_appli_special

せっかく受賞したので、自分では遊べないものの、これからもバージョンアップをしていこうと思ってますが、やはりさみしい。。。


2月 27, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月18日 (水)

アプリキャスト版 JewelBox

Sony のテレビtvブラビアを持っていない人には関係ない話しです。。。

ブラビアには、ミニプログラムをテレビ画面の脇で実行するアプリキャストという機能があります。
先般、アプリキャストの開発ドキュメントが「ソニー体験空間」にて、個人用にも公表されました。
ということで、何か作ってみようかな~と思いましたが、天気予報とか時計とか、役立つツールはすでにあって特に困っていないので、役立たないものでも作ってみようかと。

そこで、JewelBox というパズルゲームを1990年に Apollo Domain というマシン用に開発したのを思い出し。
・・・ちょっと前のことかと自分では思っていましたが、既に19年前のことというのを知って自分でも驚きました。sweat01

そんな思い出の JewelBox のアプリキャスト版を作ってみることにしました。

とはいえ、もとのソースコードは実行環境がまったく違うので最初から作ることに。
アプリキャストがミニプログラムということで、コードのサイズや全体のサイズが制限されていることから、それに収まるのか心配でしたが、ぎりぎり収まりました。
当初心配していたプログラムコードは余裕でしたが、レイアウトコードがぎりぎりで、インデントを付けるのをやめてやっと収まりました。
1日でできたので、今でもプログラマーできるかも。と思ったり。。。

その後、せっかくだからと、オリジナルのグラフィクスを完全復活させたら、意外と綺麗にできあがったので、ソニー体験空間に投稿しておきました。

テレビを見ながら、ゲームをしたいという奇特な人がいれば、ぜひお試しください。

なお、投稿にあたっては、利用者向けのお問い合わせ先を設定しなければならなかったので、このブログをそのお問い合わせ先にしておきました。
ご意見ご要望があれば、コメントとして書いておいてください。この場でなるべくお返事します。
そのときはテレビ画面で、このページを見るという不思議な体験ができます。。。

ただし、ゲームをすると、テレビのリモコンの電池の消耗が早くなるという苦情はお受けできません。。。scissors

2月 18, 2009 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年3月 8日 (土)

ねじろぼちゃん

永く愛用しているものというのはあまりないのですが、携帯電話はそのひとつ。
DoCoMo の P501i です。もう何年になるのだろうか・・・
よく、画面背景がバスクリン・カラー(オレンジとグリーンのみ)とか言われて馬鹿にされますが、、、
これって画像がカラー表示できないの?と馬鹿にされますが、、、
着信音が昔のTVゲームみたいと馬鹿にされますが、、、
音声操作機能とかあるんです。
「○○さん」とか名前を言うと、その人に電話かけられるんです。
さらに・・・

そんなに古い機種で電池は大丈夫なの?と聞かれることがありますが、逆に古い機種は、電池が販売中止になっている代わりに、DoCoMo ショップに行くと電池は無料でもらえるんです。

機種変更する理由がみつかりません。。。
なので、永く愛用してます。

そんなご愛用の携帯電話には、ご愛用のストラップを付けてます。
金属造形家 たじまはじめ氏による、1個づつ手作りの「ねじろぼちゃん」
です。





いままで、渋谷の、ちと駅から遠いショップでしか買えなかったのが、
楽天市場の Bell Shop で買えるようになっていました。

ちとお値段張るけど、金属を溶接してできてるので、とにかく頑丈です。
使っていると、いつも持ち歩くので、金属表面がいい感じに光沢出てきます。

ご興味あれば、 Bell Shop のページをご覧あれ。

3月 8, 2008 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月19日 (火)

パンデミック・・・インフルエンザと思わずペストと思え。

NHKスペシャルでパンデミックの特集を放映してました。
前編は、シナリオを想定したドラマ仕立てになっていてフィクションですが、問題意識を持たせる内容。
後編は、いわゆるNHKスペシャル調の説明。

放映された番組内容のホームページは、それぞれ
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080112.html

http://www.nhk.or.jp/special/onair/080113.html
です。

数年前から、秋山先生にお目にかかると、言われていたことではありますが改めて調べてみるとすごく深刻な内容です。
大雑把に言うと、パンデミックというのは、ワクチンのまだないインフルエンザが爆発的に感染する事態のことを言います。
パンデミックという言葉の意味の説明は Wikipedia にもあります。

まず最初に、本件については、ぼくはせいぜいTVを見てネットで調べて、勉強会で1時間半の発表を聞いたくらいなので、以下で紹介する内容については不正確な説明となっている点があるかもしれません。
ご指摘あれば、コメントで教えてください。
適宜、訂正などしていくので・・・よろしくお願いします。

では、本題。

国立感染症研究所には、パンデミックに関する公式ページがあります。
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/05pandemic.html

WHO は6段階のパンデミック危険レベルのうち、現在の世界が既にレベル3であるとしています。
6段階それぞれの説明は
http://influenza.jp/pandemic/c01.html
に WHO の定義について厚生労働省「新型インフルエンザ対策行動計画」での日本語訳が紹介されていますが、
レベルがひとつあがって4になると、どうなるのかは、以下のページに紹介があります。
http://influenza.jp/pandemic/c03.html

Q&Aが掲載されています。
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QAindex.html

Q17 では日本の対策計画の概略が説明されています。
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QA17.html

個別には、国立病院機構仙台医療センターのウイルスセンターに論考があります。
http://www.snh.go.jp/Subject/26/index.html

公式ページからは、WHO の世界各国の対策計画についてのページへのリンクがあります。
http://www.who.int/csr/disease/influenza/nationalpandemic/en/index.html

その中に、米国のパンデミック対策計画
http://www.hhs.gov/pandemicflu/plan/
がありますが、公開情報の多さは、日本と比較して相当充実している様子です・・・

さらに、米国はワンストップサイトも既に用意してました。
http://www.pandemicflu.gov/

上記の情報などによると、米国はタミフルの備蓄を4000万人分にするようです。
日本は2500万の目標で既に半数が備蓄できているようです。
そこまでだと米国の対策と同等っぽいですが、タミフルが将来の未知のウイルスに効くかはわからないので、米国はパンデミックになった場合には、新たなワクチンを6ヶ月間で国民数分用意するという期限目標が計画に入っています。
日本はこれについては必要性を提起しているだけで具体的なことについて触れていないようです。
米国はさらに、新しいワクチンを6ヶ月間かけて製造した際に、準備できた順番で誰を優先して配布するかの方針まで決めているとNHKスペシャルでは紹介していました。
方針では、いったん65歳以上を最初に優先配布と決めた後に、国民論議が起こり乳幼児を最優先、次に未成年者、その次に65歳以上にしたとのこと。
特に国民意識調査では、65歳以上の年配者自身が、「自分達よりも孫たちの世代を優先して守るべき」との反応を示して、方針変更がされたといいます。
このあたりは、日本の対策計画の立ち遅れもありますが、国民意識に差がありますね。。。
それに国内 2500万の備蓄ということは、全人口の5人に1人分。いったい、どういう順番で配られるのだろうか。と考えさせられてしまいます。

その他にも、事前に方針を決めておかないと、パンデミックが発生してからでは収拾できない課題がNHKスペシャルで具体的に紹介されていました。
人の倫理観にかかわる重要な課題が山積しているようです。

NHK スペシャルがドラマにしているので、まったくのフィクションかと思いきや、本当に現実にすぐそこまで迫っていることが以下の情報でわかって、結構びっくりしました。

鳥インフルエンザが人に感染している状況は絵で見ると
http://www.pandemicflu.gov/images/pop_image.gif
数字で見ると
http://www.who.int/csr/disease/avian_influenza/country/cases_table_2008_01_03/en/index.html

すぐそこまできてますね。。。

そんなことをきっかけに、パンデミックが気になってきたので、先日、機会があって、
「新型インフルエンザ 事前準備と大流行の緊急対応」
という勉強会に出席してみました。

内容を大雑把にまとめると以下のようなかんじです。

1997年に香港で発生して死者まで出した、鳥から人に感染したH5N1型インフルエンザですが・・・
NHKスペシャルのドラマ的に言うと、「封じ込め」に失敗したとのこと。
そして、こいつは、着実に変異を続けていて、人~人感染型、いわゆるパンデミックになる可能性は100%で、後はその突然変異が「いつ起こるか」だけの段階とのこと。
「パンデミックは、if ではなく when の問題」というのが専門家の認識だそうです。

にわかに信じられないけど、発表では、整理されたデータが次々と紹介されました。
WHO の予想は、30年以内に60%の確率でパンデミック発生という数字もあるそうです。

実は、NHKスペシャルを見て自分で調べた後には、首都圏直下型地震対策の後くらいには考えないといけないことだろうなぁとは思ったのですが、、、それも以下のような説明がありました。

首都圏直下型災害の発生確率予想の数字も同じようなものだけど、災害はいざとなったら、災害のない地域からの復旧支援も得られるし、場合によっては復旧されるまで首都圏から離れるということも選択できます。
パンデミックは、全世界的に起きるので、首都圏以外はおろか、海外からの支援も期待できないし、どこにも逃げていく先もない。
比較的準備万端の国が、自国内復旧の目処をを済ませて、海外支援にも動き始めるのは2ヶ月と予測されているそうなのですが、日本は食糧・エネルギーとも自給自足ができていない。
たとえば、食糧の輸入が継続して港まで届いても、港湾労働者が寝込んだら、誰が積荷を船から降ろすのか、誰がトラックで輸送するのか・・・
自給自足できていないことが、アキレス腱になるとのこと。。。

ふと疑問に感じるのは、これほどのことの危機意識がなぜあまり啓発されていないのだろうかと・・・

聞いた話しに想像も加えると、だいたい以下のようなことのようです。

本来、インフルエンザは、その名のとおり、広義の感染症のことですが、一方で、風邪の症状を示すものには、免疫低下とウイルス感染によるものがあるわけです。
免疫低下の風邪は、養生して栄養の付くものなんかを食べてれいれば治るわけですが、ウイルス性の風邪は病院行って治さないと長引きます。
そこで、風邪の症状が出たときの対処を大まかに2つに分けて促す際に、ウイルス性のものを、一般に「インフルエンザ」と呼んで、その言葉がインフルエンザの意味として定着してしまっています。
しかし、インフルエンザの定義からすると、本来の広さよりすごく狭義に使ってしまっていて、あたかも風邪の種類の言い方かのようになってしまっています。
これが誤解を招く根源かもしれません。

H5N1 のようなインフルエンザの昔の呼び方は、実は、「家禽(かきん)ペスト」だそうです。
ペストを Wikipedia でみると異なるものだということはわかります。
それが近年になって、ペストというとどぎついので、学術的な意味で正しい、インフルエンザと呼ぶことに国際的に改められたそうで、国内もそれに従い、「ペスト」とは呼ばないことにしたそうです。

実際には、インフルエンザの中で、パンデミックになるのは、「高病原性強毒インフルエンザ」と分類されていて、風邪などの「低病原性弱毒インフルエンザ」とは区別されているそうです。
もっとも大きな違いは、後者が器官系の表面くらいに悪さをするのに対して、前者はすべての細胞が対象となる点だそうです。

パンデミックの発生の可能性が低いときは、不必要な動揺を煽らないために、「ペスト」と呼ばないというのはよかったかもしれませんが、可能性が高まった時点では、「高病原性強毒インフルエンザが発生する危険が迫っている」と言われても、「あぁ、風邪のインフルエンザのなんか強力なのが流行するのかな?」くらいのことしか思えない。

「ペストの流行がもうじきやってくる。」と言われれば、いわゆるインフルエンザとは異質の何かのことという認識ができて危機意識が高まるのに、どぎつすぎるという理由で、その呼び方を「インフルエンザ」にしてしまったために、逆に、危機意識を高められないという皮肉なことになってしまっているようです。

と、まだまだ、話しはつづいて、社会や企業として備えなければならないことなどの提言がありました。
それらについては、また気が向いたら紹介したいと思います。

とりあえず気になるところとして、
「日常生活で気をつけることは?」の質問への答えは、、、

とりあえず、鶏については、加熱せずに食べるのは、100リスクあって1利なしとのこと。

ふむふむ。鶏のささみの刺身は食べない方がいいわけね。
もともとそんなに、ぼくは鶏の刺身は食べないから関係ないやと思いきや。

いやいや、それより・・・「生卵はもっての他」とのことです。
生卵を食べるという食習慣そのものをやめるべき。

とのこと。

一方で、ITのサービス継続の観点からも影響があります。
ITのサービス継続計画では、機器障害や災害を想定するのが一般ですが、パンデミックが発生すると、IT機器は無傷の状態で、運用・保守の要員が出勤できないということを想定する必要があります。

パンデミックについて、家庭と職場の両方について、そろそろ真剣に備えないといけないようです。

2月 19, 2008 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年8月29日 (水)

富士総合火力演習2007

先週末の土曜日、8月25日は、ここ数年恒例で見学させていただいている、富士総合火力演習に行ってきました。

小田急線を始発電車に乗って御殿場まで行きますが、楽しいイベントです。

今夏から導入したビデオカメラで様子を撮影してきましたので、掲載しておきます。

演習は、前段と後段に分けて行なわれます。
とりあえずは、前段の映像のみアップしました。

F2戦闘機
http://www.youtube.com/watch?v=51Q414mOio8

迫撃砲と誘導弾
http://www.youtube.com/watch?v=kxfyOOY5v2g

対戦車ヘリコプターと普通科火力
http://www.youtube.com/watch?v=oesimiiePgQ

90式戦車・・・この演習の主役です。
http://www.youtube.com/watch?v=iuLQVRKkIr0


後段は、いよいよ総攻撃です。
乞うご期待。。。

8月 29, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月18日 (水)

ぜんちゅぅのススメ

6つのポイントとともに、ぜんちゅぅのススメを提言してみました。

ぜんちゅぅのススメは、写真付きで、「溜池に食べに行け」にて。

7月 18, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月30日 (水)

CPU使用率100%問題解決!

Windows PC を自分で使っていないのに CPU の使用率が 100% 近くなって、ほとんど使い物にならないというのを最近経験してた。
今日たまたま、怪しいところで偶然この原因を教えてもらった。。。

そういう状態になってしまって、原因を調べてみると、家にあるオールインワン・プリンタ(スキャナとかコピー機能が付いてるプリンタ)関連のソフトが何かしていることがよくあった。
プリンター本体にあるスキャンボタンを押すとファイルをPCに直接送信できたりする機能があって、このソフトはそれと対になってるもので、どうもそれに不具合があるらしく、そいつをタスクマネージャで強制停止すると、問題が治るときもあった。
ただ、それとは別に svchost というプロセスが同様に何か処理してることもあった。
こいつは強制終了しようとすると、PC がシャットダウンしてしまったことなんかがあるので、そうなったら仕方なくPCをリブートしていた。
その原因は、先の件があったのでてっきり、プリンタのドライバソフトがまた、なんか悪さしてるんだろな。と思って諦めていたところ、今日これは Windows の問題で修正ソフトが出ていることがわかった。

ということで、同じように、なんか自分でPC使ってないのに、ほとんど動かない、反応が遅いとかという人は確認してみるといいかも。

情報はこちら。
http://support.microsoft.com/kb/937383/ja

なんとこの問題でサポート窓口に苦情を言っているのが日本が多いということで、上記説明は日本語のみで英語版はまだない。
外国の友達には、上記の内容を教えてあげると喜ばれるかも。。。

5月 30, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月25日 (金)

書籍のご紹介

最近、2冊ほどの書籍の執筆に協力しましたので、参考にしてみてください。

 ・デジタル・フォレンジック事典

 ・情報セキュリティ教本

書籍へのリンクはこちら

「デジタル・フォレンジック事典」については、担当執筆部分の紹介を録音しておきました。
こちらからお聞きください。

5月 25, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

溜池に食べに行け

お仕事以外のブログを追加しました。

上のタブの5番目です。

赤坂~溜池~虎ノ門にお立ち寄りの際のお店探しにお役立てください。(笑)

2月 3, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月20日 (土)

内部統制の解説音源

Y's Station(わいズすてぇしょん)に、内部統制の解説音源をアップしました。

日弁連コンピュータ委員会シンポジウム2007 で講演した内容をアップしました。

企業における内部統制の実践とIT

1月 20, 2007 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2007年1月12日 (金)

こきんわかしゅう

やまとうたはひとのこころをたねとして
よろづのことのはとぞなれりける

古今和歌集の序文です

日本語って美しい

この言葉を大切に使っていきたいものです

と思っただけです。

1月 12, 2007 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月 4日 (木)

あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

ネット版の年賀状を用意してありますので、ご覧ください。

年賀状はこちらからご覧いただけます。


今年もよろしくお願いします。

1月 4, 2007 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月20日 (水)

「情報セキュリティの日」実施に伴う関連行事の募集について

内閣官房情報セキュリティセンターが、「情報セキュリティの日」実施に伴う関連行事を募集しています。

詳細は、「情報セキュリティの日」実施に伴う関連行事の募集についてをご覧ください。

12月 20, 2006 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月29日 (水)

政府機関統一基準の解説音源

Y's Station(わいズすてぇしょん)に、政府機関統一基準の解説音源をアップしました。

以下の2バージョンあります。

40分版
90分版

お楽しみ(?笑)ください。

11月 29, 2006 |

2006年11月 7日 (火)

エコバッグほしい

エコバッグがほしいです。

ココログのエコバッグプレゼントに申し込みたかっただけで、本文の続きはありません。
すみません。

11月 7, 2006 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年10月 2日 (月)

わいズすてぇしょん 開局

既に一部の方々には紹介して、ご好評をいただいておりました「わいズすてぇしょん」を一般公開させていただくことにしました。

Y's Station:わいズすてぇしょん

これまでのコンテンツは、1つのみを残して他は削除させていただきました。
今後、これまでのものについても内容を見直してから随時追加させていただきます。
RSSを設定してありますが、「わいズすてぇしょん」の更新情報は、こちらの「砂糖の甘い付箋」でご案内させていただきます。

10月 2, 2006 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 6日 (木)

電子政府の利用促進が急務

財務省は、政府予算の無駄遣いや効率の悪さを点検する2006年度の予算執行調査の結果として、利用者の少ない外務省のパスポート電子申請システムなど、5省6事業の廃止を求めた。
とのこと。

詳細は:

詳細は:
YOMIURI ONLINE
予算執行調査、パスポート電子システムなど6事業廃止求める

パスポートの電子申請は、年間運用費が8億円で、利用実績が年間103件。
・・・ひどすぎる。

今回調べてみて知ったけど、「外務省のパスポなび」というのがあるんですね。

パスポくんがむなしい・・・

ちなみに、米国では・・・

ブッシュ米政権における電子政府推進の本格始動

米国の電子政府政策とその現状

米国の電子政府法


米国と同じことをする必要はないにしても、電子政府の利用促進が急務ですね。
ITベンダーが、政府を食い物にするのは、いい加減やめないと、国が滅んでしまいます。

7月 6, 2006 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 1日 (水)

個人情報保護対策が裏目

たまたま見かけたブログで紹介されていましたが、商品のリコールが発生したときに、個人情報保護対策が裏目に出てしまうことがあるのですね。

零細企業のなんでも屋OLのつぶやき」というブログにて
個人情報の保有期間ってむずかし~」という記事がありました。

その中で、「顧客名簿処分が裏目に出た松下電器温風機リコール事件」を紹介しています。

個人情報の漏洩防止を偏重してしまい、そもそも、その情報をなぜ保有しているのかを確認することの重要性を再認識させられる内容です。
個人情報を必要以上に破棄したり、最初に通知する利用目的を必要以上に狭くするのはよくないだろうという認識はしていましたが、リコール時の連絡にまで気を配ることができていたかといえば確かではありません。
この場合において、リコールが起きることまでを予期することは困難だったかもしれませんが、これを知ってしまった以上は、これを教訓にして、商品のお客様登録情報についての利用目的を果たせるようにする必要があります。
知ったからには、「予期できなかった」はもう許されないと思って、取り組まなければなりませんね。

あ!ぼくだけではないですよ。これを読んでしまった、”あなた”もそうなります。
北斗の拳が実写版映画になるようですが、、、「おまえはもう知ってしまった・・・」というところでしょうか。(笑)

あ・た・た・たた~

自分と関係なさそうな事件や事故の教訓から、自分も学ばないといけません。ということで、「バカな行政、バカな報道、バカな国民では再発は防げない」の教訓として、この件も付け加えておこうと思います。

ひ・で・ぶ・・・

2月 1, 2006 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年1月 6日 (金)

新年のご挨拶

ちょっと、遅れましたが・・・

新年あけましておめでとうございます。

今年も思いついたときに、思いついたことを付箋がてら書いておこうと思います。

本年もよろしくお願いします。

1月 6, 2006 |

2005年12月10日 (土)

要求事項を示さなかったことによる結果責任は発注者にある

建物の耐震構造設計の偽造問題が取り上げられているが、そこから学ばなければならないことがある。
そして、学んだら、自分にできることが何かを考えなければならない。

建設業界に関係しない者も、この問題を狭くとらえずに、自分が何を改善するかを考えるべきだ。

何か社会的な問題があれば、そこから「自分は何をできるか」を考えようということを、
バカな行政、バカな報道、バカな国民では再発は防げない
で述べた。

今回、耐震構造設計偽造問題から何を学ぶべきかを考えてみる。

●学ぶべきこと

この問題には多くの原因があるが、もっとも単純化すると以下のようなことが言える。

・発注者が受注者に丸投げすることは無責任意識の温床となる。

丸投げ関係は、人の意識にとても悪い影響を与える。
もしも丸投げしたことに対して、事故が発生した場合に、発注者は受注者のせいにし、受注者は発注者のせいにすればよいと思い始めるかもしれないからである。
このことは、発注者と受注者双方の利害関係が一致した場合に最悪のシナリオとなる。
双方が互いに、事故の発生を予測できたとしても、そのことについては双方とも触れずに済ませることができてしまう。
耐震構造設計書の偽造事件では、被害者の救済のために税金が使われるしかないが、多くの人は、そのことに釈然とはしていないのではないだろうか。
この場合、そこに悪事があったことは確かと思われるのに、その責任の所在がはっきりしない。そして、責任所在が不明なので、その悪事の被害者が救済されるためには、まずは税金を使うしかないだろうということを理解せざるを得ない。納得できないが理解するしかない。ということが、モヤモヤ感を生むのかもしれない。

ここで注意深いのは、検査機関というものがうまく機能しなかったことだろう。
しかし、そのことは自明とも言える。
「事故の発生を予測できたとしても、そのことについては双方とも触れずに済ませることができる」状態においては、検査機関は経済的に機能しないことが十分予想される。

結論だけ先に書けばこんなかんじだ。

・検査の合格証書をもらうことだけが目的化したとき、民間による検査は正しく機能しなくなる。

本事件でも、検査機関は、「あそこは審査が厳しいと思われたら、ビジネスに悪影響が出る」ということを懸念した。このことは、「審査の甘い機関」がひとつでもあれば、多くの機関が「あまい審査」をすることについて、拍車がかかるのは経済原則として当然だ。
検査機関は、「検査をする場」であるが、そこで検査を受ける側からの視点でいえば、「合格をもらうための場」になる。その場で検査機関を民間ビジネスとして運営すれば、「合格を与えるビジネス」というビジネスモデルになるのは当然のことだ。

自動車運転教習所を考えるとわかりやすい。
非常に安全な運転を指導してくれるが、それを完璧にマスターするまで、かたくなに合格させてくれない教習所に、「客」は集まるだろうか。そこに集まる客は、本来の目的は「安全な運転を習得する」ことではあるが、実際には、「合格証書をもらう」ために教習所に通うことになる。
このとき、「すぐに合格証書をくれる教習所」が出現したらどうなるだろうか。
そこでは、「安全な運転を習得する」ことができないから、「客」は来ないのだろうか・・・それはないだろう。
「合格証書さえもらえばよい客」が集まる。ことによっては、安全な教習所より繁盛してしまうかもしれない。
しかし、実際の教習所ではそうならないだろう。色々な理由が考えられるが、少なくとも2つの側面がある。
教習所にとっては、安易な合格乱発をしたくとも、「合格証書を与えるための条件」が細かく規程されているからそうはできない。
また、受講者にとっては、「あまりに何も教えてくれないのでは、実際に運転もできない」ことになるし、「安全な運転を習得する」ことができないのは、自分の不利益となる。
そして、最終的な運転免許証は、試験場で合格しなければ入手できない。そのため、いい加減な教習所の授業では合格率が確保できないことになり、その評判はビジネスに不利益となる。試験場で合格するように、ちゃんとした学科教習を少なくとも実施しなければならない。
これらの環境によって、合格証書を乱発する教習所は、ビジネスとして成立しないのだろう。

今回の耐震構造設計の検査については、「合格証書を与えるための条件」が見直されることになるだろう。
しかし、その検査だけに頼るのは現実的ではない。
「ちゃんとした検査を受けたい」という意識と、「ちゃんとした検査をしないとビジネスが成立しない」というシステムが全体として構成される必要があるのだろう。
このとき、「ちゃんとした検査を受けたい」という意識には、それなりの覚悟が必要だ。
ちゃんとした検査を受けるためには、そのための費用も手間も必要だと、居住者は認識しなければならない。
そうしなければ、安全性の欠陥に気づいてもそれに触れずに済ませることができる状態では、検査だけですべてを管理するのには限界があるはずだ。
この問題の解決のために、どのような検査の仕組みができあがるのかは、とても興味深い。

と書いてきたが、これは他山の石だ。
本題の、「自分は何ができるのか?」について考えてみる。

●自分ができること

「建設業界にいない自分には関係ない」という発想は、「自分は何ができるのか?」をさぼる言い訳にはならない。
この場合、これと同種の問題が自分の環境の中にないかを考え、その問題について考えることこそが、「自分は何ができるのか?」を考えることになる。

先に述べたことを繰り返すと以下のとおりだ。

・発注者が受注者に丸投げすることは無責任意識の温床となる。
・検査の合格証書をもらうことだけが目的化したとき、民間による検査は正しく機能しなくなる。

もう、多くを書く必要はなさそうだ。

IT業界において、情報セキュリティ対策はまさに、以下の状態といえる。

・受注者に丸投げ
・認証取得が目的化

しかも、建設業界よりも始末が悪い。
おそらく、耐震構造設計の偽造をした人達は、耐震強度が弱くなり、そのことはよいことではないことだとわかっていたし、その強度は本来高めることは可能だが、コストを下げて利益やビジネス機会を増やすために「悪いことをしている」という意識はあったはずだ。
情報セキュリティ業界というのは、たちが悪い。
「情報セキュリティに完全はない」を声高々に掲げてビジネスをしているのだ。
こんな業界は他にないだろう。
「情報セキュリティに完全はない」と言いつつ、認証制度があるという矛盾についても、解決しないまま、合格証書が次々と出されている。
いまのところの救いは、まさに、証書をもらいに行く側が、「実際にちゃんとした対策にしておきたい」という動機付けが大きいことだろう。
しかし、この後、「合格証書の取得」ばかりを推進すれば、認証取得が目的化することになる。

さて、「自分にできること」は何か。

『発注者が具体的に要求事項として示さなかったことが原因で問題が生じた場合には、その責任は発注者自身にあるという意識を持つこと』を具現化することだろうと思う。
それを2つに分解すると以下のようにすることができる。

・IT構築の委託先に対して、単にISMS認証取得を強要しない。
→認証取得を相手に示させるのではなく、情報セキュリティ対策の要求内容を発注者が具体的に示す。
・IT構築の受託者は、具体的な要求内容も示されていないことに無責任に合意しない。
→「十分な対策を講じること」のような抽象的なことは、業務委託として確約できないはずだ。確約もできないことに合意するのは、事故が発生したときに責任不在を生じることになるということの重大さを自覚すべきだ。

その昔、「なるべく停止しないこと」というような抽象的な要求では適切な情報システムを構築することができないことを経験してきたはずだ。いまは、計画停止時間と計画外停止時間などを具体的にSLA(サービスレベルアグリーメント)で定めているはずだ。SLAなくして、「なるべく停止しないこと」という契約が無意味であるように、セキュリティ対策についても、発注者と受注者間で具体的な内容について審議し合意する必要がある。
そのような合意をちゃんとすることは、両者にとって責任を明確にすることになってしまい、自らの足かせとなる。
足かせを作らなければ、事故が発生してしまったときに、事故原因そのものについて、両者がともに言い逃れることができるように思うかもしれない。そのため両者とも、それをうやむやにしておきたいという衝動に駆られるかもしれない。
しかし、それでは、両者とも、説明責任を果たせず、再発防止策も立てられないということになる。
いまや、そんなことは社会が許してくれないということを、耐震構造設計書偽造事件で知ったはずだ。

下請け会社に対して、発注する業務個別に要求事項を定めていないようなISMS認証を取得させるというのは、まったく無意味であることを正しく認識すべきだ。ましては、単に会社としてISMS認証を取得しているかを確認するというのは、発注者における情報セキュリティ対策との依存関係はない。
下請けに出した発注業務プロジェクトについて、発注者が情報セキュリティ対策の要求事項を定めた上で、プロジェクト個別にISMS認証を取得するのならば大変有意義だ。
そのとき、要求事項を達成しなければ、下請けの責任であるし、要求事項に不足があれば、発注者の責任であることが明確になる。ただし、その場合には、そのための相当のコスト請求を覚悟しなければならない。
下請け企業に情報セキュリティ対策を自立させようとするのは、最善ではない。発注者が、下請け企業に対する監督責任を果たすのがあくまで基本だ。
すなわち、『発注者が具体的に要求事項として示さなかったことが原因で問題が生じた場合には、その責任は発注者自身にあるという意識を持つこと』が重要だ。契約というのはそういうものだ。
「後はよきに計らえ」では情報セキュリティ対策の当事者意識は、どこにも生まれない。
「後の責任は全部下請けが取る。という契約を締結すること。」を、発注者の監督責任だと説明するISMS審査員がいるという話をときどき耳にする。それは契約リスクの軽減策のひとつであって、監督策とは無縁のことだ。

以上のような説明をすると・・・
『示さなかった要求事項による結果責任は発注者にある』ということを局所的だけにしか考えることができない人にとっては、発注者責任ばかりが増大するように思うかもしれない。しかし、そのことで得られる経験を広く共有していく仕組みを作ることができれば、ある時間と空間の範囲では、発注時要求事項が改善され、受注者による対策が改善・向上していくはずだ。
短期的・局所的にだけ解を求めようとすれば、それを得ることはできないことが予想される。
あるレベル設定により、それが時間と共に「より改善される」という仕組みをちゃんと作りこめれば、最初に設定したレベルが少しくらい低くてもよいはずだ。
いまは、最初から高いレベルを求めようとするあまりに、時間を浪費してしまい、結果的にレベルが高まらないというジレンマに陥っているように思う。
言い換えると、「その対策は3年かかるのでは長い。1年でできる対策を考えよう。」と言って、3年間考えているとしたら、「3年前に3年間でできる対策に着手していれば、もう対策できていたはず」ということになる。いまは、あまりに短期的に解決しようとしすぎている試みが散見される。
人は責任を感じれば、それを全うしようとするものである。と考えることによって、責任の所在を明確にすることによって、人が物事を改善していくことに期待してもよいのではないだろうか。
それが、PDCAの本質ではないだろうか。
PDCAは、人によって回されるもの。人にしか回せないものだ。
あまりに人から離れたところで、解決策を求めるのはもうやめたほうがよい。

情報セキュリティ対策の責任について、誰がどの部分をどうやって持つのかを、改めて考えるべきときだ。

12月 10, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年8月 2日 (火)

残業代30分未満切捨て禁止

残業代の30分未満切捨てって、月間総労働時間に対してしかやっちゃいけないんだってさ。

MSN毎日インタラクティブの記事によると、

MSN毎日インタラクティブ

とのこと。

ほとんどの会社が、マクドナルドと同じように、1日単位で30分未満切捨てルールになってないかなぁ・・・
気のせいかな?

8月 2, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)

バカな行政、バカな報道、バカな国民では再発は防げない

アスベスト被害の報道を見ていて思うことがある。

1992年に社会党がアスベストの使用禁止法案を提出するも廃案になっていたとのことで、マスコミは、廃案にしたことをやり玉にあげて行政を批判しているが、それを見て奇異に感じることがある。

報道機関とは過去の事象を報道すればそれでよいのだろうか。
1992年に報道機関は、この件についてどれ程の問題提起をしたのかが気になる。
報道機関が然るべき問題提起をしていたにもかかわらず、それを国民が黙殺したのであれば、それは行政だけの責任なのだろうか。
行政の問題とか、報道の問題ということではなく、国民のすべてが、問題は事後になってから意識するという体質になっていないかと心配になる。
問題が発生する前に、問題発生の可能性とその問題の影響についてを考えるということが、軽視されているという気がする。
そして事後になってから、それを予見できた人達だけを批判するというのは簡単だが、それでは将来の問題発生は今後も未然に防ぐことはできないことになる。

アスベストの件ほどの規模の問題になると、結果責任として「誰の判断が悪いか」を議論することそのものには、ほとんど意味がないように思う。
議論すべきは、「その判断を知る機会を国民がなぜ得られなかったのか」そして、「どうすれば、その機会を失わないようにできるのか」なのではないだろうか。
その点においては、報道機関は、事故が起きた事後のことよりも、「現在進行中の事象」を報道するということについて大きな役割を期待される。

それを思うと、「なぜ1992年にアスベストの問題をもっと大きく取り上げて報道しなかったのか」ということについてのマスコミの反省がなければならない。
その反省に立たなければ、報道機関はこの問題の再発防止について貢献しないことになる。
このことに限らず、マスコミはマスコミ批判が苦手なようだ。マスコミに限らず組織において、特に過去の批判は、現在の上司への批判になることもあるのかもしれず、複雑な課題があるとは推察するのだが、何かはがゆい。

だからといって、マスコミだけが悪いのかと言えば、国民にも問題意識の欠如がある。
1992年に法案が提出され廃案になっていたということであれば、マスコミ以外の情報でも国民は知る機会を与えられていたことになる。
これらのことについて、多くの場合、国民はマスコミを通じて情報を得るのは事実であるが、それは情報を受動的に得ようとしていることに他ならない。知る機会とは、受動的だけに限定されるものではないので、能動的に知ろうとしないことは、知る機会を自ら放棄していると言うことができる。
この点は、マスコミへの期待と、マスコミが自らの役割を果たすかということと関係する。
マスコミが、国民の知る機会を損失させないように、報道の役割を適切に果たすならば、国民は受動的な情報取得によるだけで事足りることも多くなる。
しかし、だからといって、マスコミだけに依存してはならないはずだ。
国民は、時として、マスコミがその報道の役割を適切に果たしているかを、自ら確認しなければ、知る機会を失う。
また、その確認をしないということがマスコミを堕落させることにもなりかねない。

この種の問題の再発防止においては、「誰が悪かったかを調べることに注力して、その人を改めさせる」のではなく、「この再発防止において自分は何ができるか考えることに各自が注力し、各自が自分ができることを共に実施する」ことが必要だ。
特にマスコミについては、「現在進行中の事象を遅滞なく報道する」というまったくもって当然の役割を果たしてくれるだけでも十分貢献できることがある。マスコミ総ワイドショー状態が、この当然を堕落させているようにも思う。たとえば、郵政民営化の影響についてを報道すべきであり、自民党内の子供じみた茶番劇を報道している場合ではないはずだ。

バカな行政、バカな報道、バカな国民には再発は防げない。
今後も、「他人」の「過去」を批判するだけということを繰り返すだけになる。
これら3バカ連鎖をどこかで断ち切ることは、各人の「自分は何ができるか」への意識だけなのだろう。
それを自分自身忘れないために、ここに書いておいた。

自分でできることとして・・・
行政と国民をつなぐひとつは、立法である。
施行された法律の内容をとやかく言う前に、立法の時から意識することに注力したいと思う。
立法については、マスコミからの報道だけを期待するのはあきらめようと思う。
ちゃんと、パブリックコメント募集の有無を日々確認して、それらの内容を判断するようにしよう。
立法以外のことについてのきっかけは、マスコミの取材と報道に期待したいところではある。

再発防止について書いたが、もちろん、アスベストの件は補償問題があるので、それについては、「誰が悪かったかという過去」を調べることについては、別途並行して行なうことは重要だ。

8月 2, 2005 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2005年7月22日 (金)

e文書法特需はありません

最近社内で、e文書法で何かビジネスにできないか?と聞かれることがあります。
なんでそんなことをぼくに訊ねるのかを聞いてみると、ぼくが経済産業省 e文書ガイドラインの検討委員だからとのこと。
う~む。それなら回答してあげないといけないね。ということで、それへの定型回答を用意してみることにしました。

一言で言うと、e文書法は金科玉条(きんかぎょくじょう)ではありません。
別の言い方をすると、e文書法は必要条件ではあっても、十分条件ではありません。

e文書法ですが、これまで行政書類等については電子文書が極限定的にしか認められていなかったのに対して、「電子文書を使ってもよい」というように制限緩和をしただけの法律です。
「電子文書を使いなさい」ということではありません。
言い換えると、これまで原則として門前払いだったものを、門の中には通しますよ。ということですが、門の中にはまだ玄関があって、その玄関が開いているわけではないですし、e文書法は玄関についてを論じるものではありません。
単に「門前払いはやめました」というところまでのものです。

いままで門前払いだったものが、門の中に入れるようになったので、「役所それぞれの玄関をどうするかを決めることで、電子行政ができるようになったけど、あなたの役所は玄関もあけますか?それとも、開けませんか?どうしますか?」というだけです。
その意味では、この法律は、(正確な表現ではありませんが、)政府関係者対象のものと思うとわかりやすいものです。
「e」がついているので、IT業界が何かビジネスのネタにできないかと思っている風潮がありますが、民間に直接関係する段階のものではありません。
玄関が開いたときに備えて準備をしましょうというきっかけとしては民間に関係すると言えますが、e文書としての要件は、この後に各玄関で決められることになりますので、準備といっても、心づもり程度のことです。

「e文書を使ってもよい」ということで、必要条件の一部を示していますが、十分条件については示していません。

これについては、経済産業省 e文書ガイドラインの補足にて少し説明してあります。


すでにe文書法対応などと銘打った製品がありますが、e文書としての十分条件がまだないわけですから、「e文書法対応」というのは、嘘ではないですが十分でもない表現です。 つまり、必要条件さえ満たしていれば、どんなものでも、「e文書法対応」と言えないわけではなく、言った者勝ちということになります。

もし今後十分条件が示されることになったとしても、包括的な要件になるとは考えにくく、個々の電子行政サービスごとの要件となるため、「e文書法対応」という包括的な表現はあまり誠実なものとは言えず、たとえば、「税務申告における電子文書要件対応」など個別のことになるのであろうと考えます。
しかしながら、文書保管のことで考えれば、将来どんな課題が生じるかを予測することは技術的に困難であり、十分条件を予め示すということがどこまで行なわれるかは疑問です。
必要条件だけを示しておき、実際に、e文書について問題が生じた際には、その時点で正当性や妥当性についてを判断するということにして、十分条件については予めは示さないというのが現実的ではないかと思われます。
何らかの問題について判例が出れば、それを個々に積み重ねていくことで、十分条件に相当するものが構成されていくのではないかと思います。

したがって、「e文書法対応」として何か一括してのビジネスが見込めるものではなく、今後の電子行政のそれぞれを見据えながら順次対応していくような地道なビジネスが従来どおり求められていると考えるのが現時点ではよいと思います。

結論:

●ITベンダーのみなさんへ、

「個人情報保護法特需」のような「e文書法特需」はないと思って日々の地道な営業活動を継続してください。
「e文書法対応製品」という売り方は、どれかひとつの必要条件を満たしていれば嘘ではありませんが、十分ではないのですから十分ではないことを示して売るのが誠実なビジネスです。十分であるかのごとくの印象を与えて売るということは絶対してはいけません。だとすれば、「この製品はe文書として(必要条件を満たしていますが)十分ではありません」と言うだけですから売り文句にはなりません。他の誠実な売り文句に付録として「e文書の必要条件も満たしています」を付け加える程度がよいでしょう。
家電製品で言えば、「BS放送対応テレビ」と言った場合に、「BS放送を受信するには、この他にパラボラアンテナや追加の受信料などが必要です」を付け加えるかどうかと同じです。
お客様が「このテレビはBS対応ですか?」と言って買いに来たのなら、「はい。BS対応です。」と言って売るのは問題ありません。それでも、パラボラアンテナの説明をするのが親切でしょう。
そうでもないのに、パラボラアンテナのことを話しに出さずに、「BS放送対応」ばかりを強調して売るのは、「対応」という言葉として嘘ではないですが、BS放送の受信には十分ではないわけで、いかがわしいビジネスとあまり変わりません。
しかも、e文書の場合、実際には、十分条件を完成させるための「BS放送」自身がまだ存在しないわけです。
いま、「e文書法対応」と言うことは、BS放送が開始していない時点で、BS放送対応と言うのと変わらないという認識をすべきです。

●ITベンダー利用者のみなさんへ、

住宅では、耐震強化工事詐欺や、アスベスト診断・除去工事詐欺などがありますが、
企業におきましては、「e文書法対応詐欺」(※注)にもご注意ください。それらは必要条件を満たしているかもしれませんが、十分条件を満たしているかどうかはその時がくるまでわからないはずですから。
BS放送が始まっていない段階で、購入するテレビの機種選択をする際に、BS放送対応をどの程度重視するかについてはよく考えましょう。
BS放送は工業規格ですから、先買いしておけば、BS放送が開始したときに無駄にはなりません。
しかし、「e文書法対応」と言っているものが、どこにどう対応しているかは、BS放送対応ほど簡単なことではありません。


※注:耐震強化工事、アスベスト診断・除去工事と同じく、e文書法対応にも詐欺ではない正当な提案もあります。それを見極めるには利用者みなさんの正しい知識が必要です。

7月 22, 2005 | | コメント (1) | トラックバック (2)

クールビズ ポイント9か条

読売新聞ぴーぷる2005年7月18日号に、「クールビズ ポイント9か条」というのが紹介されていました。
そこで採点表を作って、自己採点してみることにしました。

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クールビズ ポイント9か条
Real Cosmopolitan, Inc.代表 日野江都子氏

シャツ:
ネクタイをしめるタイプのシャツをノーネクタイで着用しない。だらしなく見えビジネススタイルとして不適切。

ズボン:
スーツのズボンは単独ではかない。スーツは上下そろいで着用する時にバランスがよく見えるように作られている。必ず単品のズボンを着用すること。

襟元:
襟元から下着が見えないように。だらしなくしまりがないイメージに(なりビジネススタイルとして不適切)。

ベルトなどの小物:
アクセントになっていたネクタイを外すと、ベルトが目立つ。キリッとした感じを出すために、通常よりも上質でセンスの良いものを選ぶこと。

靴:
スーツを着る時と同じ靴ははかない。軽装の時には重苦しくなる。服装と同様カジュアルダウンさせる。足元は想像以上に見られている。

普段着と区別を:
クールビズはあくまで仕事をする時の軽装。その姿で自信を持ってクライアントに会えることが必須。シャツをズボンの外に出すのは、だらしないイメージ(になりビジネススタイルとして不適切)。

体臭:
夏は特に汗や体臭のケアをしっかりと。どんなに素敵に装っても嫌悪感をもたれてしまうことも。

快適さを保つコツ:
毎朝のデオドラントと制汗剤の使用。日中かいた汗も携帯タイプの爽快シートでこまめに手入れを。

装いの基本:
ビジネスシーンの装いは、国際的なルールに基づいたもの。自分のポジション、会社の性質、個性、自分の専門を踏まえ、状況をきちんと判断しつつ、軽装か使い分ける。

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ということで採点表を作ってみました。

Q1 シャツ
 ネクタイをしめるタイプのシャツをノーネクタイで着用していますか?
Q2 ズボン
 スーツのズボンを単独ではいていますか?
Q3 襟元
 襟元から下着が見えていますか?
Q4 ベルトなどの小物
 通常と同じものを着用していますか?
Q5 靴
 スーツを着る時と同じ靴をはいていますか?

ぼくの採点結果:

Q1 YES
Q2 YES
Q3 YES
Q4 YES
Q5 YES

やったー!満点だぁー!・・・ん? YES じゃだめなんじゃん・・・

しょうがないから、言い訳でもしておこうっと。

Q1 YES - そういうときもあるさ
Q2 YES - ちょうどスーツのスペアがあまってるんだもん
Q3 YES - もともと白のTシャツを下着代わりにしてるので実際はTシャツですが
Q4 YES - 上質でセンスがなくて悪かったなぁ
Q5 YES - しょうがないじゃん

さぁさ、クールビズのみなさんは自己採点してみましょうね
クールビズ・オフィスの女性の皆さんは、職場の男性を勝手に採点してみましょう

7月 22, 2005 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年6月30日 (木)

ネチケットを学ぼう

ミスターITさんから教えていただきました。

ディズニーオンラインの「ネチケットを学ぼう!」

http://www.disney.co.jp/netiquette/

お子様向けのようでいて、大人にも十分な内容です。

何より、音と絵がかわいいですね。

6月 30, 2005 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年6月27日 (月)

タイ王国商務省認定レストラン祭り

タイ王国商務省認定レストラン祭りというのが開催されるそうです。
今年は、2005年8月26日~9月17日とのこと。

去年の同様のイベントは、こちら

6月 27, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月13日 (金)

築地春の半値市

http://www.tsukiji.or.jp/new/hanne200505.html

行かねば。

以下、関係者からのご案内。

築地場外市場商店街約200店舗及び築地共栄商業協同組合
 約30店舗で、各店自ら厳選した価値ある1品目を、
 通常販売価格の半値(数量限定)で販売します。
 当日、銚子港直送!伊藤丸の特製つみれ汁、限定1000食100円
 産直販売を9:00より仮店舗内で開催します。
 また、参加店でお買物をしてそのレシート持参の方に、
 13:00より共栄会B1に於いて先着3000名様にチョコレート
 (ザロッティエーデルプラリーネチョコ1,400円相当)を
 プレゼントします。

5月 13, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年5月11日 (水)

オレオレ詐欺に便乗

第一生命保険のサラリーマン川柳


は、いつもおもしろい。

今回第18回の栄えある1位は・・・
ジャカジャカジャカジャ~ン(アンガールズ風)

「オレオレに 亭主と知りつつ電話切る」

職場でも使えそうです。

「オレオレに 上司と知りつつ電話切る」

とか。。。

そういえば、私の上司はダイエーに転職しましたね。
新しい職場でもがんばってほしいものです。

5月 11, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年4月14日 (木)

ISO/IEC ウィーン国際会議

砂糖の甘い付箋として、ブログを小まめに書くことにした矢先ですが、今週は、ISO/IEC JTC1 SC27 、いわゆる情報セキュリティ委員会の半年に一度の国際会議のために、オーストリアのウィーンに来ています。

こちらの会議の作業と、会社の仕事を相互にやるために、今週はこちらのブログはお休みです。

とりあえず、主担当の作業は本日終わって、残る明日と明後日は新しく始まる審議に顔を出すことにしています。

帰国してからまたがんばろうと思います。

4月 14, 2005 | | コメント (0) | トラックバック (0)