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2005年8月 2日 (火)

バカな行政、バカな報道、バカな国民では再発は防げない

アスベスト被害の報道を見ていて思うことがある。

1992年に社会党がアスベストの使用禁止法案を提出するも廃案になっていたとのことで、マスコミは、廃案にしたことをやり玉にあげて行政を批判しているが、それを見て奇異に感じることがある。

報道機関とは過去の事象を報道すればそれでよいのだろうか。
1992年に報道機関は、この件についてどれ程の問題提起をしたのかが気になる。
報道機関が然るべき問題提起をしていたにもかかわらず、それを国民が黙殺したのであれば、それは行政だけの責任なのだろうか。
行政の問題とか、報道の問題ということではなく、国民のすべてが、問題は事後になってから意識するという体質になっていないかと心配になる。
問題が発生する前に、問題発生の可能性とその問題の影響についてを考えるということが、軽視されているという気がする。
そして事後になってから、それを予見できた人達だけを批判するというのは簡単だが、それでは将来の問題発生は今後も未然に防ぐことはできないことになる。

アスベストの件ほどの規模の問題になると、結果責任として「誰の判断が悪いか」を議論することそのものには、ほとんど意味がないように思う。
議論すべきは、「その判断を知る機会を国民がなぜ得られなかったのか」そして、「どうすれば、その機会を失わないようにできるのか」なのではないだろうか。
その点においては、報道機関は、事故が起きた事後のことよりも、「現在進行中の事象」を報道するということについて大きな役割を期待される。

それを思うと、「なぜ1992年にアスベストの問題をもっと大きく取り上げて報道しなかったのか」ということについてのマスコミの反省がなければならない。
その反省に立たなければ、報道機関はこの問題の再発防止について貢献しないことになる。
このことに限らず、マスコミはマスコミ批判が苦手なようだ。マスコミに限らず組織において、特に過去の批判は、現在の上司への批判になることもあるのかもしれず、複雑な課題があるとは推察するのだが、何かはがゆい。

だからといって、マスコミだけが悪いのかと言えば、国民にも問題意識の欠如がある。
1992年に法案が提出され廃案になっていたということであれば、マスコミ以外の情報でも国民は知る機会を与えられていたことになる。
これらのことについて、多くの場合、国民はマスコミを通じて情報を得るのは事実であるが、それは情報を受動的に得ようとしていることに他ならない。知る機会とは、受動的だけに限定されるものではないので、能動的に知ろうとしないことは、知る機会を自ら放棄していると言うことができる。
この点は、マスコミへの期待と、マスコミが自らの役割を果たすかということと関係する。
マスコミが、国民の知る機会を損失させないように、報道の役割を適切に果たすならば、国民は受動的な情報取得によるだけで事足りることも多くなる。
しかし、だからといって、マスコミだけに依存してはならないはずだ。
国民は、時として、マスコミがその報道の役割を適切に果たしているかを、自ら確認しなければ、知る機会を失う。
また、その確認をしないということがマスコミを堕落させることにもなりかねない。

この種の問題の再発防止においては、「誰が悪かったかを調べることに注力して、その人を改めさせる」のではなく、「この再発防止において自分は何ができるか考えることに各自が注力し、各自が自分ができることを共に実施する」ことが必要だ。
特にマスコミについては、「現在進行中の事象を遅滞なく報道する」というまったくもって当然の役割を果たしてくれるだけでも十分貢献できることがある。マスコミ総ワイドショー状態が、この当然を堕落させているようにも思う。たとえば、郵政民営化の影響についてを報道すべきであり、自民党内の子供じみた茶番劇を報道している場合ではないはずだ。

バカな行政、バカな報道、バカな国民には再発は防げない。
今後も、「他人」の「過去」を批判するだけということを繰り返すだけになる。
これら3バカ連鎖をどこかで断ち切ることは、各人の「自分は何ができるか」への意識だけなのだろう。
それを自分自身忘れないために、ここに書いておいた。

自分でできることとして・・・
行政と国民をつなぐひとつは、立法である。
施行された法律の内容をとやかく言う前に、立法の時から意識することに注力したいと思う。
立法については、マスコミからの報道だけを期待するのはあきらめようと思う。
ちゃんと、パブリックコメント募集の有無を日々確認して、それらの内容を判断するようにしよう。
立法以外のことについてのきっかけは、マスコミの取材と報道に期待したいところではある。

再発防止について書いたが、もちろん、アスベストの件は補償問題があるので、それについては、「誰が悪かったかという過去」を調べることについては、別途並行して行なうことは重要だ。

8月 2, 2005 |

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コメント

アホな行政、アホな報道、アホな国民では再発は防げまへん。には、まったく賛成ですね。(ニュアンスを理解するために勝手に大阪弁に翻訳しました・・・)

 日本社会全体の疲弊がおこっているのかもしれまへんな。

===
この種の問題の再発防止においては、「誰が悪かったかを調べることに注力して、その人を改めさせる」のではなく、「この再発防止において自分は何ができるか考えることに各自が注力し、各自が自分ができることを共に実施する」ことが必要だ。
===

 まったくもってごもっともな話ですわ・・・。かつ、ちょっと耳が痛い話ですな・・・。
 まずは、「隗より始めよ」で、自分でもできることを考えて行動せなあかんなぁ・・・

投稿: 丸山満彦 | 2005/08/02 8:50:05

NHKを批判する機関が無い。民放をはじめ、マスコミ業界が暗黙の談合状態で、マスコミュニケーションというものの、社会における評価、批判しない、言わば聖域化されてしまっている。メディア研究、評価は唯一一部マスコミ論などを専門とする社会学者などが、批判、評価する立場にあるが、追随的に分析するだけで、影響力は持たず、寧ろ、経営委員などに祭られて、マスコミ側に加担している。一方、真摯な評価、批判を受け持つ個人には、発信の資金的資質が小さく、マスメディア情報の中に消し去られてしまう。一度、全マスメディアが崩壊した地平から、全く新たな、公共性の高い、自由な、資本に縛られない、ネットワーク的勢力が誕生、成長するのが望ましい。

投稿: 石原新太郎 | 2006/10/25 14:22:04

> 石原新太郎さん

マスコミ同士が報道内容について差別化をしようとしないのも問題ですよね。
まさに、「暗黙の談合状態」という表現そのもののように思います。

投稿: 佐藤慶浩 | 2006/11/24 11:52:18

ちょっと気になったブログがあったので貼っておきます。

あきみちさんの「人のせいにするのはそろそろやめませんか?」
http://www.geekpage.jp/blog/?id=2009/12/24/1

投稿: 佐藤慶浩 | 2009/12/25 10:28:43

佐藤さん、興味深いページの紹介をありがとうございます。
本年もいろいろとお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

投稿: 丸山満彦 | 2009/12/31 21:31:08

丸山さん

この年の瀬にブログチェックですか・・・笑

こちらこそ今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。

投稿: 佐藤慶浩 | 2009/12/31 21:36:39

また、気になる記事があったので、貼っておきます。

「キャリア官僚だって人間」―30歳元キャリア官僚の語る霞ヶ関の実態
http://blogos.com/article/49085/?axis=&p=1

インタビュー記事で、インタビューされたのは、宇佐美典也氏。
ご本人のブログは、
うさみのりやのブログZ~三十路の元官僚のブログZ~
http://ameblo.jp/ipponseoinosuke/
とのこと。

投稿: 佐藤慶浩 | 2012/10/29 13:51:36

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